国公労連
国民のための行政・司法へ ストップ!憲法改悪 サイトマップ 更新履歴 個人保護法に関する宣言 リンク
Action 私たちのとりくみ Journal 定期刊行物 Archives 資料 Mail News
トップページ >ニュース> 国公労連速報
トップページ>職場・地域のとりくみ> 国公労連速報
 
  国民のための行政・司法へ
国公労連速報 2009年8月14日《No.2213》
大きな転機を迎えて盛り上がった原水禁世界大会
「国公平和のつどいinながさき」
     
 

 

 広島・長崎への原爆投下から64年が経過しました。世界はいま、核兵器廃絶への大きな転機を迎えており、「人類と核兵器は共存できない」という被爆者の声と、それに連帯する労働組合や市民の運動が、世界諸国民の圧倒的な世論に連動して、国際政治を動かしています。これまでの連綿たる被爆者をはじめとした核兵器のない平和な世界を求める諸国民の運動によって、大きな変化が生まれています。今年4月5日にオバマ米大統領がプラハで「核兵器のない世界の平和と安全を追求する」と宣言したことは、その世界的運動の大きな成果といえます。
 このような転換点に立った情勢のなかで、原水爆禁止2009年世界大会・広島及び長崎大会が開催され、長崎での閉会総会には会場にあふれる7800人が参加するなど、大きく盛り上がりました。
 国公労連は、メイン大会である長崎大会において、今年も「国公労連平和のつどい」を8月8日に開催しました。会場には国公の仲間50人が参加し、国公労連顧問堀口士郎氏の「平和な未来を築くために−被爆の実相と戦争について考える」の講演を熱心に聞きました。

一滴の水も飲めず、苦しい思いで死んでいった人たちのことを知ってほしい

(田口長崎県国公議長の開会あいさつ要旨)
 職場の課題だけでなく、国民的な課題にもとりくむことも大切だ。平和運動もその一つである。そのための国公労連の役割が重要になっているし、これまでも担ってきた。今日の「国公労連平和のつどい」を一つの契機にして核廃絶に向けた運動を盛り上げよう。

(堀口士郎氏の講演要旨−レジメから転載)
【1】はじめに
1 広島・長崎を訪問したみなさんへのお願い

(1) 被爆の実相をとおして核兵器の恐ろしさ・戦争の悲惨さを学んでほしい
  例えば、原爆を落とされて、一滴の水も飲めず、苦しい思いで死んでいった人たちのことなど。
(2) 原爆投下という歴史の事実を、未来にどのように生かしていくのか考えてほしい
(3) 現代に生きる国公労働者として平和のために行動してほしい
2 私たちはどのような時代に生きているのか
(1) 人類の生存を危うくする核兵器の拡散 − 世界には約2万6千発の核兵器が存在。その大半がいつでも使えるよう核基地や原子力潜水艦に配備されている。核保有国はアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、イスラエル、インド、パキスタンの8ヶ国に拡大している。(北朝鮮?)
(2) 戦後64年の歴史は2つの流れのせめぎあい

【2】いま、私たちに求められていること
1 歴史の事実を学び、教訓を未来に生かすこと

(1) 戦争の悲惨さを事実に即して学ぶ − 本土への空襲、沖縄の地上戦、広島・長崎への原爆投下など戦争の悲惨な事実を学び、直視することは未来を考える出発点
1) 東京大空襲はじめ主要都市への無差別爆撃で焦土と化す
2) 沖縄での地上戦では県民10万人が犠牲
3) 原爆被害の実相に学ぶ − 唯一の被爆国の国民として原爆被害の実相や戦争の悲惨さを学び、行動することが求められている
・広島・長崎の被害状況
・原爆被害の5つの特質
・原爆投下に至るアメリカの政治的意図
・被爆者の心情に理解を
4) 私の体験から
 ・爆心地から1.8qで被爆。原爆で家・仕事を失い家族の人生は大きく変化
 ・東京で感じた差別の視線と妻の言葉
(2) 戦争の悲惨な歴史の上に生まれた平和憲法
(3) バァイツゼッカー(旧西ドイツ大統領)の演説 − 「後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」 ― (1985年5月8日、ドイツ敗戦40周年にあたっての連邦議会演説 ― 岩波ブックレット「荒れ野の40年」より)
2 「平和なくして労働者のしあわせはない」ことの再確認を − 平和運動の大切さを4つの視点から考える
(1) 労働組合の基本的な任務から考える − 戦争の最大の被害者は労働者
 ・平和と民主主義は「人間らしく生き、働くこと」の基本であり、労働者の生活の安定と労働組合運動存在の基礎的条件
(2) 公務員労働者の使命に沿って考える
1) 私たちは「国民全体の奉仕者」として憲法理念に沿って国民の安心・安全を守る立場で日夜努力している − そのような重要な使命と役割を担っている者として平和の問題にはもっと敏感になってほしい
2) みなさんの仕事は戦争と密接に関係している
  (労働行政の例)−戦時体制下の労働行政は、戦争遂行のために労働者を軍需工場に駆り立てる役割を担わせられる
  1 大量の軍事動員(徴兵)による深刻な労働力不足
  2 1938年4月国家総動員法施行 − 年齢・性別に制限なく全国民対象に労働義務制を強制。「国民勤労動員署」(職安の前身)が軍需工場に労働者を徴用 (徴兵は赤紙、徴用は白紙)
3 国家総動員法のもと労働者は無権利状態となる。1939年賃金臨時措置令により賃金引き上げはストップ。1935〜1945年の10年間で賃金は半減
3) 「ルポ 労働と戦争」、「ルポ 貧困大国アメリカ」(岩波新書)より
(3) 公務員制度「改革」から考える
 ・戦争することは国民の人権を認めないこと―「戦争する国」づくりは、国民の人権をないがしろにする「もの言わぬ公務員」づくりと表裏一体の関係
 ・国公労連の公務員制度「改革」への対応は平和を守るたたかいでもある
(4) 若いみなさんの未来に沿って考える ― 若者の人生と未来をふみにじる戦争
 ・私たちが家族のしあわせと将来を考えるならば、平和と民主主義の問題は避けてとおることはできない
3 国公の先輩たちが築いてきた運動の発展を
(1) 平和と民主主義はそれをふみにじろうとするものとのたたかいなくしては守れない。その攻撃の前には自分だけ平和でいたいとの願いは通用しない − 労働組合こそ、平和と民主主義を守る国民連帯のカナメ。その役割に誇りを持とう。
(2) 先輩たちが築き・担ってきたさまざまな運動
1) 平和憲法を基本とした核も基地もない日本をめざして
2) 平和行進 − 1958年から継続
3) 原水禁大会、3・1ビキニデー
4) 各単組でのさまざまなとりくみ − 6,9行動、平和行動、被爆体験記、基地調査など

【3】核兵器廃絶に向けた新たな動き
1 オバマ大統領のプラハでの演説(4月5日)

(1) アメリカ大統領として初めて「核兵器のない世界」を追求することを国家目標にすると宣言し、核兵器廃絶に向けて世界の諸国民に協力を呼びかけた
(2) アメリカに前向きの変化を促した諸国民の運動
 ・逆流を許さず、世論の高揚を − オバマ演説の反響から
2 問われている日本政府の対応
(1) アメリカの「核の傘」から離脱し、「非核三原則」の実行と平和外交への転換を
(2) 唯一の被爆国として、核兵器廃絶に向けて誠実に努力すること
3 核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けた行動

【4】若いみなさんにお願いしたいこと
1 学ぶ姿勢を大切に、大きな視点で世の中の動きを見る
2 平和な未来を築いていく主人公は一人ひとりの仲間


(参加者の感想等)
 ○ 高校生の娘と一緒に北海道から参加した。全国から200人もの高校生がこの長崎大会に参加している。若い人から労働組合がどうして平和問題にとりくむのかとよく聞かれる。平和であることがすべての基本であることをわかりやすく話していくことが必要だと考えている。
 ○ うちの職場に自衛隊から転職してきた人が、国はだれが守るのかと質問される。その前に、人を戦争で殺していいのかという原点を考えていきたい。
 ○ 長崎市で育ったので、被爆の話を聞く機会が何度もあった。私は被爆を体験していないが、話を聞くと感動する。そのことをみんなに話していきたい。
 ○ 普段の生活のなかでは被爆のことなど考えることが少ない。今回、堀口さんの話を聞いて改めて平和の大切さを実感した。
 ○ 憲法の条文などを見ると、改めて平和の大切さなどを考えさせられる。総選挙があるが、そのことを念頭に投票したい。
 ○ 久間元防衛庁長官が「原爆投下は仕方がない」と発言したとき、地元自民党員の人たちが怒って離党した人がたくさんいたと聞いた。国民の多くは平和を願っている。
 ○ 全法務の仲間が反核マラソンでこの長崎をめざして走っている。PKO法が成立するときは全国で反対運動が盛り上がったが、ソマリア沖への自衛隊派兵のときは運動が盛り上がらなかったのはなぜか。危険な方向に向かっていると感じた。
(阿部国公副委員長の閉会あいさつ)
 格差、貧困に陥っている人たちが増え、そういう実態のなかで公務労働者の果たす役割はますます大きくなっていると思う。平和行進、反核集会などにとりくみ国公の仲間の参加もふえてきている。来年5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議が開かれるニューヨークに国公からも多くの参加をしていきたい。今度の国公労連定期大会のサブスローガンには「改憲発動を許さず、核兵器廃絶の流れを前進させよう」が入る予定である。

【参考…堀口士郎氏の略歴】
1945年生まれ。長崎原爆の被爆者。長崎労働基準局・諫早・五島(駐在事務所)・佐世保の労働基準監督署に勤務。
1981年 全労働中央執行委員となり上京。
1987年 全労働書記長
1991年 国公労連書記長。
1995年 全労働中央執行委員長
2000年 国公労連中央執行委員長
2006年 退任。現在、国公労連と全労働の顧問。退任後の2006年10月に国公労働運動への思いを綴った「示現流の気合いで…憲法を原点に歩む」(小冊子)を発刊。

参考資料
「オバマ演説」の反響から

1 「朝日新聞・天声人語(2009年5月8日)」
 作家の井上ひさしさんが週刊朝日で、オバマ大統領の核軍縮演説を評価していた。原爆を落としたのは誰かという主語をはっきり語っているからだという。「核を使用した唯一の保有国として行動する道義的責任がある」と述べたくだりについてである▼日本語は主語があいまいだ。広島の慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」を巡っても、かつて論争があった。悔いと誓いの主語は日本なのか、米国なのか。物議をへて、いまは「人類」ということで多くに受け入れられている▼そんな経緯もふまえての、井上さんの評価と思われる。大統領の言葉は、米国が「主語」に歩み寄ろうとする変化だと読める。あの米国である。今こそ日本も世界も、核廃絶の主語を担う決意を強くする時だろう▼おととい国連本部で演説した2人の市長も、その思いを語った。長崎の田上市長はオバマ演説に触れて「被爆地は感動に包まれた」と説明した。そして「核なき世界への流れを力強い潮流にしていこう」と呼びかけた▼広島の秋葉市長は、原爆症で亡くなった少女、佐々木禎子さんが回復を祈って折った鶴をかざした。「サダコ」の悲劇は欧米でも知る人が多い。世界は悲しい鶴を、もう誰にも折らせてはなるまい▼オバマ流核軍縮は、米の利益に沿った現実的な戦略だという。投下への自責だけがその背景なのではない。だが「繰り返さない」ことへの意志には信をおきたい。そして意志をより確かにするためにぜひ被爆地を訪れるようすすめたい。

2 「天声人語」(2009年7月17日)
 世界を舞台に活躍する日本人は多いが、広く名の知れた人となると限られる。その上地位に安住せず、発信力を次代のために使おうと発起する人は少ない。デザイナーの三宅一生さん(71)は、その道を選んだ▼広島出身の三宅さんは、ニューヨーク・タイムズ紙への寄稿で自らの原爆体験に触れ、オバマ米大統領に平和記念式への出席を呼びかけた。〈未来の核戦争の芽を摘むことが大統領の目標であると世界中に伝えるには、それが最上の方策と思うからです〉▼あの日、三宅さんは7歳だった。〈炸裂した真っ赤な光、直後にわき上がった黒い雲、逃げまどう人々。すべてを覚えています〉。放射線を浴びた母親は3年後に亡くなった▼ヒロシマの残像は〈心の奥深くに埋もれさせていた〉という。「原爆を知るデザイナー」と安易にくくられたくなかった。そんな三宅さんを、「核兵器を使った唯一の国として、核なき世界を目ざす」というオバマ演説が動かす。自分も発言すべきだと▼破壊を憎んでのことだろう。三宅さんは服づくりに美と喜びを追い求め、「一枚の布」の考えで東西の違いを超えてみせた。芸術性に富み、産業のためではなく人が生きるためのデザインは、世界から支持された▼投下目標が少し違えば、服飾の革命家は7つで消えていたはずだ。同じ朝、それぞれの夢を抱えて大きく育つべきいくつもの命が、一瞬にして失われた。生かされ、名を遂げ、「通る声」を持つに至った者の訴えはひときわ重い。「イッセイ・ミヤケ」だけができる仕事である。

以上

 
 
ページの先頭へ