懲戒処分歴のない職員(1名)の埼玉事案にかかる人事院の口頭審理が2月22日から3日間、人事院関東事務局(さいたま新都心)で行われました。処分者(厚労省)側の3人の証人と、請求者側3人の証人に対する尋問が行われました。
審理の打ち合わせで請求者代理人の弁護団は、北海道の審理でも指摘した厚労省配転にかかる「面接票」を証拠資料として提出するようきびしく指摘しました。公平委員会も「重ねて証書として提出するよう求める」と処分者側代理人の対応を求めました。
処分者側の証人に対する反対尋問では、社保庁の総務部長が日本年金機構設立準備事務局長を併任していたことが明らかになり、日本年金機構の欠員状況等について社保庁の立場ではわからないと証言したことの矛盾が露呈しました。「年金機構設立準備事務局の事務局長を併任する総務部長は日本年金機構の欠員状況を把握していたのではないか」との弁護団の追及に対して証人は「わからない」と苦しい答弁を繰り返すのみでした。また、分限回避努力の実務を主に行っていたのは総務課長であったことが明らかになりました。しかし、処分者側証人は直前に総務課長から上司の総務調整官に変更されており、具体的な追及にはなんら答えられませんでした。証人としての適格性が問われるものであり、厚労省の不誠実な対応が明らかになりました。
厚労省への転任希望に対する面接では、「任用してもよい」のC評価であるにも関わらず全員が転任候補者からは除外されていることも明らかになりました。
飯塚顧問と川村副委員長が問題の本質を証言
埼玉事案では、2月23日午後から24日に請求者側の証人尋問が行われました。年金記録問題の背景や懲戒処分の実態などについて証言を行った全厚生の飯塚顧問は、国民の信頼を失った根底には、相次ぐ年金制度の改悪に対する国民の大きな怒りがあること、年金施設に対する保険料の無駄遣いとして批判を浴びたグリーンピア問題では、多くの施設が歴代厚労大臣の地元に建設されていること、のぞき見問題の背景には選挙で敗北した自民党の執拗な圧力があること、まともな労使交渉も行われなかったこと、などをさまざまな証拠資料にもとづき証言しました。
国公労働者の働くルールについて証言した川村副委員長は、組織の改廃に伴う分限免職(整理解雇)は45年ぶりであるが、今回のケースは「廃職または過員」には当てはまらないこと、廃職や過員が生じたとしても当然には分限免職とはならず、省庁間配転や雇用調整本部の設置などで身分が保障されてきたこと、地域主権改革のもとで多くの省庁でこうした事態が予測され、安んじて公務に専念できない状況が生まれていること、など根本的な問題を指摘し、公務の民主的かつ能率的な運営を国民に保障するためにも人事院としての役割発揮を求めました。
不安と苦悩の日々について請求者本人が証言
最後の証人尋問に立った請求者(女性)は、@国民年金保険料の収納率改善が至上命題となり、異常なノルマを達成するために上司の罵声を浴びながらも一生懸命対応してきたこと、A連日遅くまで、また土日出勤があたりまえとなる中、父親が病で倒れても母と妹に任せなければならずつらかったこと、B情報がきちんと伝達されず曖昧な指導や指示が多く常に不安を抱えながら対応せざるを得なかったこと、C家庭の状況などからも正規職員として勤めたかったこと、D身に覚えのない処分(厳重注意)が処分庁の答弁書に記載されていたこと(後に処分庁が訂正)、E20社の面接を受けたが不採用となったこと(現在は団体アルバイト)、など厚労省側の不誠実な対応を指摘しつつ、現在の切実な思いを証言しました。最後の意見陳述には傍聴席からあたたかい拍手も沸きました。
傍聴席を埋めた支援の輪、連日報告集会を開催
審理の最終日は国公労連の各単組や埼玉県労連、そして日本航空の不当解雇とたたかう原告などで傍聴席(51)は一杯になりました。また、審理終了後は連日報告集会を開催し、弁護団(11人)から確信に満ちた報告を受けながら、勝利にむけた決意を固めあいました。
以上
|