国立病院は地域の財産
「住民ぐるみの健康まつりに確かな手応え」 (全医労南横浜支部)
新年を迎え、行革のたたかいもいよいよ正念場を迎えています。国公労連は行革署名と年金署名を「両輪の署名」と位置づけ、新春からスタートダッシュします。そこで今年の職場取材は、国民犠牲の行革による独立行政法人化、厚生省の国立病院・療養所の統廃合、移譲再編成計画のもとで「国民のいのちと健康をまもろう」と、国立療養所南横浜病院でがんばっている全医労南横浜支部を訪問しました。
一般病棟の閉鎖を契機に始まった共同
「私はあくまでも補佐役なんですよ」と控えめに語る全医労南横浜支部(組合員115名)の二瓶テル子さんは、昨年の4月から書記長になったばかり。92年の全医労に対する団体交渉拒否以来、様々な攻撃と干渉を受け、院内の組合活動はきわめて制限されてきました。こうした中、93年に厚生省当局の「改善命令」等による全国的な病棟集約攻撃の中で、一般・1病棟が閉鎖されました。
しかし、この攻撃は一度で終わらず、95年、一般病棟閉鎖計画が再浮上してきました。南横浜支部は地域住民と一体となって「南横浜病院を守り良くする会」を結成し、「南横浜病院は地域住民の財産」を合言葉に請願署名に取り組みました。署名は町内会等の協力で1万4989名分が集まりました。残念ながら一般・1病棟(50床)が閉鎖されたものの、これが南横浜支部が地域との共同行動に踏みだした第一歩です。
強行された2交替制導入強行された2交替制導入
南横浜病院当局は、96年末、厚生省による強権的な長時間夜勤・2交替制勤務を、県内の他の施設に先駆けて導入をはかってきました。
97年3月、病院当局は、2交替制導入を「業務命令」として検討するように、結核の1病棟のスタッフに一方的に通告してきました。 しかも、病院当局は、組合との交渉や話し合いには一切応じず、結核の1病棟の看護婦を個別に呼び出し、2交替制の実施を迫ったのです。
職場全員が反対の意思表明
この攻撃に対して組合は看護婦全体で4回の反対署名を提出し、当該スタッフのほぼ全員が11回にわたり病院長や厚生大臣などへ請願書を提出するなどの意思表明をおこないました。
この結果、当局は年度末までの「組合への通告」を一度は断念を余儀なくされました。
しかし、2交替制導入に執念を燃やす病院当局は、厚生省の指導の下で、なりふりかまわぬ脅しを始めました。
組合に対しては組合室の貸与取り消しの脅しをはじめとして、掲示板の事実上の使用禁止など、徹底的な弾圧をおこないました。
そして、婦長をのぞくスタッフのうち一人の賛同者もないままに、県内で唯一、6月に強行実施したのです。
疲れてくたくた…高まる看護婦の健康不安
97年6月に2交替制が導入され、一年半が経過していますが、組合のアンケートには「疲労感が増し、患者のニーズに答えられなくなった」「眠気と疲労でしゃべるのもおっくうになった」などの意見が寄せられています。
こうした事実を裏がきするように二瓶書記長も「身体は大変きつく、朝方は疲れて判断力がなくなります。なにより患者さんに負担がかかっていることがつらいです」と語っていました。
組合では、病院当局に対して「3交替にもどせ」と数回にわたり、職場要求をだして交渉を申し入れてきましたが当局は、この件について一切の話し合いに応じていません。
南横浜病院の概要 横浜市港南区芹が谷にある国立療養所南横浜病院は、1937年以来(創立当初は県立療養所、1947年以来国立療養所)、結核医療のほか肺がんや胸部慢性呼吸器疾患の専門病院として地元住民に利用されてきました。現在は、結核はもとより、内科、外科、呼吸器科、循環器科、放射線科などの診療科目があり、地域と一体となった総合医療を行っています。周辺には県立病院や、精神科専門や子ども専門病院はありますが、地元住民にとって、総合的な診療が充実している南横浜病院への期待は日々高まっています。
地域住民のおまつりに発展
それは懇親会の席で飛び出した
「南横浜病院を守る会」が結成された経緯については前述しましたが、その結成大会直後の懇親会の席で、当時の神奈川県国公議長の工藤紀夫さん(現副議長、全労働)が、「南横浜病院のさらなる発展と地域医療を守るための運動を今後も継続していくためには、健康まつりはどうだろうか」といった発言が、きっかけになったと、当時を知る県国公特別幹事の豊田治彦さんが語ってくれました。
いまでこそ住民数千人が参加する、まさに、「地域ぐるみのおまつり」として定着していますが、その発端は、懇親会の席から飛び出すという意外性に満ちたものでした。
地域のみんなに励まされて成功
そして、この「南よこはま健康まつり」が、南横浜支部の仲間たちと地域住民を結ぶかけ橋となると同時に、「健康まつり」が続く限り世話役活動の一端を背負うことになる悩ましくも意義のある活動となったわけです。
これについて二瓶さんは「前回のまつりを終えて、組合員の中には大変だから次のまつりはやめたいという意見がでましたが、地域のみなさんから『ぜひやろうよ!』という熱意におされて、第5回健康まつりを成功させることができました」とふりかえり、組合の会計担当・山口美奈子さん(看護助手)も「地域で支えてくれる人たちがいたからこそ、やってこれた」としみじみと語っていました。
地域ぐるみで準備・運営地域ぐるみで準備・運営
「私は南横浜病院が大好きですし、国立病院をぜひ残したい。まつりは町内1万5千所帯の住民が毎年楽しみにしています。秋になると地域の人から『今年はいつやるのですか』とよく聞かれます」とまつり実行委員長の丹野代吉さんは楽しそうに語ってくれました。丹野さんは古くから地元・芹が谷町内会で中心的な役割を担ってきた人です。
この話に象徴されるように、「健康まつり」の実行委員会には、神奈川県国公や南横浜支部の仲間はもとより、「地域医療を守れ」の一点で地元の医師会・薬剤師会、県立芹香病院の先生や職員の方、連合町内会や商店街など、各種団体が参加し、文字通り地域ぐるみで諸準備が進められました。
その力は宣伝活動の面で最大限に発揮され、ビラは町内会を通じて、全戸に配布され、ポスターは町内の公営掲示板にくまなく貼られ、プログラムの広告は、商店街の各店が積極的に応じてくれるなど、過去4回に比べて一段と体制が整い、「健康まつり」が地域に定着していきました。
健康相談に850人参加
第5回目を迎える「南よこはま健康まつり」は、抜けるような青空と、さんさんと降り注ぐ太陽のもと、11月8日に南横浜病院に隣接する芹香病院グラウンドで地域住民5千名余が集まり、盛大に開かれました。南横浜病院支部の仲間たちは、交替制勤務の合間をぬって、縁の下の力持ちとして奮闘するとともに、日頃の専門知識を生かして血圧と体脂肪測定などの健康相談を行いました。これには「医療や健康に対する関心の深さをあらわしてか、身の上相談的な方もおりましたが、血圧に441名、全体で850名を越える人たちが受診してくれました」とOB鵤香津子さん(看護婦)は語ってくれました。
国立病院改善は地域住民の願い
まつりの会場では、港南区医師会・薬剤師会代表による医療問題トークが行われました。参加者から、医療改悪や介護保険の矛盾について多くの意見がでるなど、地域住民の医療充実に対する要求の高さを浮き彫りにしました。
このことは南横浜支部の仲間たちが取り組んだ「国立病院の存続を願う国会請願署名」の取り組みにもあらわれ、1日で885筆が集約されました。
こうした結果について、長年「健康まつり」を中心的に支えてきた芹香病院看護婦の植木さんは「医療改悪で国民が医療を受ける権利がほごにされ、受診抑制が起きています。私たちは地域医療を守り、充実させるため、これまでもまつりを通して住民に訴えてきましたが、病院がある限り、医療従事者の立場としても、地域住民としても、まつりを続けていきたい」と熱ぽく語り、執行委員の條たか子さん(看護婦)も「病院は不便なところにあり、JRの戸塚方面から通院するのが大変なので、みんなの力でミニバスを実現したい。健康まつりは大変だけれど、国立病院を残していくためにがんばりたい」と話し、副支部長の高波サヨ子さん(看護婦)も「地域の人たちが気軽にこれるような病院にしたい」と抱負を語っていました。
世論構築がカギ医療の発展・充実は
県内に9つの国立病院と8つの全医労支部、5つの「守る会」を抱える神奈川県国公は、92年の全医労に対する団体交渉拒否以来、それぞれの支部に担当幹事を配置し、精力的な運動を展開してきました。
「健康まつり」も、こうした運動の中で生まれ、地域に定着してきたわけですが、なかでも93、94年の県内全病院に対する「団体交渉の再開」を求める申し入れや「請願権」を活用した大衆請願行動などは、民間労働者を含めた官民一体の取り組みとして発展し、いまでも神奈川総行動の一環として引き継がれています。 県国公の住谷和典事務局長は、全医労に対する一連の運動を振り返り、「臨調行革の流れをくむ全医労への攻撃は、国民の健康と命を守る行政責任からの撤退です。医療の発展・充実を図るためには、国民世論の構築は欠かせません。行革闘争本番を迎える今年、全医労への攻撃を自らへの攻撃と受けとめ、国民との連帯・共同を強めたい」と今年の決意をにじませながら語っていたのが印象的でした。
国公労連行革闘争本部長・藤田忠弘(国公労連委員長)に年頭インタビュー
「行革闘争=国公大運動に全力あげよう」
●1999年は、行革闘争の正念場を迎えます。そこで、国公労連の行革闘争本部長でもある藤田忠弘国公労連委員長に、行革闘争についてお話をうかがいました。
■行革関連法案の国会審議段階で「行革」の反国民性を明らかにしよう
――99年の年頭にあたって、行革をめぐる情勢のとらえ方などについてお聞かせください。
藤田 組合員のみなさん、新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
行革闘争をめぐる情勢ということですが、今年は行革闘争が「天王山」を迎えると思います。なぜなら、政府・財界がその仕上げに全力をあげてくるからです。ですから、99年春闘は「行革春闘」の様相を呈するといっても過言ではありません。
状況を端的に言いますと、二つの側面があると思います。一つはきびしさの面です。今度の通常国会には、昨年成立した「行革基本法」を具体化するための諸法案が提出・審議されます。政府・自民党は、これの成立に全力をあげてくるでしょうから、事態は切迫してきます。
もう一つは、展望につながる面です。法案の国会審議段階というのは、「行政改革」の反国民性や欺瞞性を明らかにできる場でもあります。もしも、そのような場として運営させることができれば、国会内情勢も変化すると思います。
それから、大局的にみますと、橋本政権が打ち出した「6大改革」のうち、財政構造、経済構造、金融システム、社会保障構造など四つまでが破綻してきていますから、その要(かなめ)に位置する「行政改革」だけがひとり首尾よく進む保証はありません。もちろん自滅するわけではありませんから、私たちの追撃いかんがカギをにぎっているといえます。
■国民の理解の拡大、政府・各省当局の追及、国会審議への的確な対応を
――国公労連として行革闘争をどのように進めていこうとお考えですか。
藤田 いつの場合も、たたかいに特効薬があるわけではありません。しかし、もっとも効果的なとりくみを追求しなければならないと思います。
いま国公労連が重視しているのは、一つは国民の理解の拡大、二つは政府・各省庁当局・行革推進本部などの追及、三つが国会審議への的確な対応などです。 これら三つのどれが欠けてもいけないと思いますが、そのなかでも、国民の理解の拡大はとくに重要です。なぜかといえば、国民の多くの方々は、いまでも政府・財界の「行政改革」に期待や幻想を持っておられるからです。
国民のみなさんの期待の中心は、「税金のムダづかいをやめて国民生活本位に使ってくれ」「政・官・財のゆ着をなくし汚職・腐敗を根絶してくれ」などの点にあるわけですから、政府・財界の進める「行政改革」がいかに国民の願いに逆行しているかを明らかにすることは依然重要なことなのです。
■貴重な到達点を築いたこの間の行革闘争に確信もって世論動かそう
――最後に、行革闘争の展望についてお聞かせください。
藤田 「行政改革」が喧伝されはじめた2年前の頃は、街に出てこれに反対をとなえるなどということは大変なことでした。
しかし、この間の行革闘争は貴重な到達点を築いたと思います。署名数は目標に届きませんでしたが、たとえば国会内の世論に影響を与えました。参院で8会派、衆院で4会派、あわせて89名もの国会議員が紹介議員を引き受けてくださったのはそのあらわれでした。また、経済評論家の内橋克人さんが「このまま改革バンザイに乗せられると大変なことになる。すべての負担は自分たちの肩にのしかかってくるのではないか、そういう仕掛けにようやく気づき始めた」と指摘されるように、世論が動き始めていることも事実です。
情勢を決して一面的にみることなく、きびしいなかにも存在する可能性を信じて行革闘争=「国公大運動」を中心とするたたかいに全力をあげることが勝利につながる大道だと思います。
(新春インタビュー)シナリオライター・作家 山田太一さん
「把握できる社会の現実が狭くならないドラマを」
■やまだたいち 1934年、東京・浅草生まれ。早稲田大学卒業後、松竹に入社し木下恵介監督のもとで助監督。1965年フリーのシナリオライターとなる。多数のテレビドラマ作品をはじめ、映画・演劇・小説などの分野でも話題作を発表し続けている。主な作品―「それぞれの秋」(1973) 「男たちの旅路」(1976〜82) 「岸辺のアルバム」(1977) 「獅子の時代」(1980) 「想い出づくり」(1981) 「終りに見た街」(1982) 「早春スケッチブック」(1983) 「ふぞろいの林檎たち」(1983・以後この作品はパート1まで続いている)〜パート2(1985)〜パート3(1991)〜パート4(1997) 「日本の面影」(1984)「今朝の秋」(1987) 「異人たちとの夏」(1988) 「丘の上の向日葵」(1993) 「奈良へ行くまで」(1998)。
■テレビドラマ「奈良へ行くまで」 ドラマの主人公は、大手銀行から建設会社に出向し、官庁担当の営業マンとなった中本正治(奥田瑛二)と妻・敦子(安田成美)、中本の親友で通産省のエリート官僚・平山泰之(村上弘明)の3人。談合の発注システムを壊そうと、中本は新規の工事発注をねらい、平山に助力を頼み、大物の族議員・宮本達三(山崎努)に近づく、そして汚職まがいのことをして受注する。ゼネコンの工事発注の裏にある談合の実態、特権官僚と政治家がからむ汚職の世界を批判的にあぶりだし、一人では変えようにも変えられないゆ着・腐敗構造への憤り、現代人の孤独、友情と夫婦愛の葛藤をからめて描いた人間ドラマ。
今年の新春インタビューは、テレビドラマの原作・脚本をはじめ、映画・演劇・小説など幅広い分野で活躍されている山田太一さんです。通産省のエリート官僚とゼネコンと政治家のゆ着・腐敗を描き、1998年のテレビドラマ部門の日本民間放送連盟賞を受賞した「奈良へ行くまで」の話題から、インタビューは始まりました。
そう簡単には崩れない政官財ゆ着のシステム
――98年2月にテレビで放映されたドラマ「奈良へ行くまで」では、特権官僚とゼネコンと政治家のゆ着を描かれていますが、どのような思いで脚本を書かれたのでしょうか。
山田 ゆ着の現実だけではなく、希望のある解決を描こうとしたのですが、取材をしているうちに二人や三人の行動で目ざましい解決に至るのはあまりに非現実ということに気づかされました。一度、何かを改革したような気がするのだけれども、結局は元に戻ってしまう。こういうシステムは、そう簡単には崩れないのだなと思い知りました。あまり後味のいい作品にならなかったのですけど、しょうがないですね。私のせいというよりは、今の日本のせいだと思っています。(笑い)
社会との接点が希薄なトレンディドラマ
――この作品を作るきっかけなどお聞かせください。
山田 きっかけは、日本のテレビドラマがそういう社会の現実とかかわりなさすぎてしまっていることにあります。いまのトレンディドラマは、把握できる社会の現実が狭くなってきていますし、単純なヒューマニズムであったり、現実とは接点のない正義感が唱いあげられたりするドラマが多いので、得意ではないけど社会性のある世界に踏み込もうということが作るきっかけです。
「現実の談合はドラマよりもえげつない」
少しずつ取材をして作ったわけですが、私は、ゼネコンなどの専門家ではないので、専門家がご覧になると、いろいろ不十分な点もあると思います。
たとえば、発注された設計図を受注するゼネコンの会社に同業者が渡すシーンがあるのですが、実際には、引き換えに10万円ずつ礼金が配られているんだという話が、放送終了後、関係者の方から私のところに寄せられたりしました。現実は、もっとえげつないということなんですね。
もちろん、ドラマというのは、社会のシステムの悪いところを描くのが主眼ではありません。結局は、人間を描くことですから、システムの問題はドキュメントでやった方がいい。私のドラマは一見、談合の話のようですが、登場人物の友情や夫婦愛が複雑にからんだ物語としての側面もある。いろいろな角度から見られるドラマがいちばんいいドラマなんですね。社会的な悪を暴くだけのドラマというのは、私には向いていない。ですから、人間の物語のほうに結局はウエイトがいっちゃったかなという気がします。
作者の現実感が大切取材には限界がある
――山田さんの作品は丹念に取材をされて作られていますね。
山田 じつは取材には限界があります。お話をうかがった相手に限定されて、その人の視点が、その業界についてのすべてになってしまったりする。でも、別の人に話を聞くとぜんぜんちがう視点だったりするわけです。取材は丹念にしたいと思うのですが、ノンフィクションではなくて、基本はフィクションですから、時間的な限度も ります。あるところまでいくと、結局、こちらの現実感で、どこならリアリティを感じるかなというところで書くことになりますね。
テレビとはまったくちがう演劇の世界
――テレビ以外にも演劇など幅広い仕事をされていますが、どのような思いで作品をつくられているのでしょうか。
山田 テレビは多くの方がご覧くださって、すばらしいメディアではあるのですが、一方では多くの方がご覧になるということで単純化とか、わかりやすさとかいうものに配慮しなければならないんです。個人的な深い美意識を追及するというような作品は無理なんですね。くたびれて帰ってきてテレビをつけたら、ずっと画面が動かない、そういうものじゃ見てくださらない。脚本家も制作会社も商売として成り立たない。どうしてもテレビには限界がある。
だんだん、こちらは年をとってきて、人生でいろいろな思いをして、若いときよりも複雑に考える。ところが、テレビはパッと見てわかるということが、要請としてある。テレビの仕事をしているだけでは、自分の中で出ていく場所がないところがたまってくるのが普通じゃないかと私は思います。
演劇は、お客さんがお金を払ってきてくださって、しかも集中度も高くて、セリフの一つひとつに反応して見ていただける。それは魅力だったですね。テレビも人によってはこのくらいの集中度で見ているかもしれないという怖さも感じました。テレビがこのような集中度のあるメディアだったら、ドラマも変わってくるだろうという気がしました。
とにかく、演劇はぜんぜんちがう世界だった。おもしろくて、ちょっとおぼれるようなところがありますね。俳優さんは一カ月間ぐらい稽古してくれるでしょ。テレビではタレントさんが忙しくて、本番しか時間がないとか、もちろん本番前にちょっとしたテストはしますが、これでは才能のある人だって演じるには限度がありますね。
自分と周囲を肯定し行政をよくしていって
――最後に、国家公務員労働者へのメッセージをお願いします。
山田 国家公務員にも、いろんな人がいると思います。自分の意思ではないところに配属された方もいらっしゃるのでしょうが、自分の業務についてまったく知らない人もいますね。ちょっと突っ込んだら、ぜんぜん知らない。逆によく知っている人もいますね。周囲を肯定して、その肯定している世界に何かをつけ加えようと思っていらっしゃる方はどこの世界の人も素敵だと思います。
自分のまわりにいる人はちょっといい人だと思うタイプと、自分のまわりにいる奴はろくなものじゃないと思っているタイプにわけるとすると、自分のまわりにいる人はちょっといいと思っている人の方が好きですね。
ドラマというのが、そういう性質のものだからかもしれないけれど、だれと会っても、基本的には、なるべくその人を肯定したいと私自身は思っています。若いときはむしろ否定してやろうという姿勢でした。こいつの表面とはちがうところをちゃんと見抜いてやるぞというような姿勢でした。時代もそうでしたね。でも、今の私は、いわゆる通俗モラルに、なるべくわずらわされないで人を肯定するというのが自分にどこまでできるのかというのが、一つのテーマですね。
これだけ公務員はダメだとかいろんな否定的なことをいわれているわけですけど、投げ出さないで、自己否定に溺れないで、基本的には自分と周囲を肯定してがんばって、みなさんには、行政をよくしていってもらいたいと願っています
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