2007年4月
日本国家公務員労働組合連合会
(1)はじめに
社会保険庁「改革」をめぐり、政府は3月13日、「日本年金機構法案」ならびに「国民年金事業等の運営の改善のための国民年金法等の一部を改正する法律案」を国会に提出しました。その内容は、社会保険庁を解体し、年金業務を新たに設置する日本年金機構に担わせ、さらにその業務の多くを民間委託するとするものです。
老後のセーフティネットである公的年金制度は、国が責任を持って直接運営すべきであり、この内容では、制度の安定的運営に支障が生じることを強く懸念するものです。
また概要は、職員の採用や転任、配置転換等において、使用者に幅広い裁量を与えた上で、職員の分限免職にまで言及しています。使用者である国は、職員の雇用に責任を果たす必要があり、一人の解雇者も出すべきではありません。
こうした認識のもと、法案の問題点について、国公労連の考え方を明らかにします。
(2)社会保険庁解体の必要性に疑問
1.不祥事根絶は再発防止策こそ必要
法案の概要は、「法案の趣旨」において「国民の信頼に応えることができる事業運営体制を確立する」とし、このため、「社会保険庁を廃止し、…新たに非公務員型の年金公法人を設置し、…一連の業務運営を担わせる」としています。さらに、「民間企業へのアウトソーシングの推進」を掲げています。
しかし、民間企業へのアウトソーシングが、なぜ「国民の信頼に応えることができる事業運営体制の確立」につながるのか、まったく明らかではありません。不二家やリンナイ、日興コーディアル証券など、民間企業の不祥事は後を絶たず、「公務が悪、民は善」などという図式は何の根拠もありません。既に民間委託されている事業においても、ふじみの市営プールの死亡事故など、ずさんな安全管理が問題となり、ハローワーク関連の市場化テスト「モデル事業」では、民間受託事業者の非効率性が実証されています。
不祥事の根絶には、その原因を徹底的に糾明し、それにふさわしい対策を確立することこそが不可欠です。この点で「概要」は、不祥事の背景や要因にはなんら目を向けることなく、安易に民間委託を推進しようとするものです(民間委託の問題は後述)。
2.年金制度の空洞化に目をつぶる
法案の概要は、「公的年金制度は、全国民の強制加入を前提に、世代間扶養と所得再分配を行う仕組みであり、安定的な運営のためには、国民の信頼に応えることができる事業運営体制が不可欠である」とし、公的年金制度の重要性を冒頭に述べています。
しかし、政府による高負担・低給付を基本とする、相次ぐ年金改革は、年金制度の空洞化をすすめ、今や国民年金の加入対象者のうち4割が未加入であり、厚生年金も対象事業所の3割が未加入となっています。また、世代間扶養と言いながら、国民年金の支給額はとうてい生活できる水準ではありません。国民の年金不信・不満は、高い掛け金と低い支給額にあるのは明らかですが、概要はその点にいっさい言及していません。社会保険庁を解体しても年金制度は何も変わりません。公的年金を論ずるなら、組織の改編ではなく制度の改善こそ急ぐべきです。
3.能力・実績主義の矛盾は社会保険庁で実証済み
法案は、年金公法人においては、(1)能力と実績に基づく職員人事の徹底、(2)民間企業へのアウトソーシングの推進、等を行うことにより、サービスの向上及び効率的・効果的な業務遂行の実現をはかるとしています。
社会保険庁では、損保ジャパンの副社長であった村瀬清司氏を長官に登用しました。村瀬長官は納付率向上を至上命題とし、独自の評価制度(下位評価の分布率を設定し、常に一定割合の者は成績不良と評価する)によって、「能力と実績に基づく職員人事の徹底」をすすめました。その結果、実績を上げんがための競争が激化し、職場の連帯感は阻害され、職員の士気は低下、メンタル疾患者も激増しています。いわゆる「不正免除」問題の背景には、公務職場に安易に持ち込まれた給付率向上一辺倒の民間的経営手法にあったことは否めません。「概要」は、この間進められた民間人長官による「社会保険庁改革」の内容を何ら検証することなく、「能力実績主義ありき」で作られています。
このように法案は、年金制度の安定的運営や、公務の効率性、国民サービスの向上とは無縁の視点で作られていると指摘せざるをえません。
(3)年金新法人で制度の安定運営が可能か
1.不透明な役員構成
法案は、年金公法人の名称を「日本年金機構」とし、理事長及び監事を厚生労働大臣が任命し、副理事長及び理事は、理事長が厚生労働大臣の認可を受けて任命し、これら役職員は非公務員とするとしています。
先に述べたように、民間より登用した村瀬長官は、年金運営業務にさまざまな問題と混乱を持ち込みました。法案は、この事実に目を背け、新法人の役職員を民間出身者で独占させ、さらに矛盾を深刻化させようとしています。
2.民間への利益誘導が懸念
公的年金は、これまで掛金が引き上げられる一方、給付は切り下げられ、2004年の「年金改革」によって、さらにこの方向を推進することとなっています。こうした中で、民間保険会社の年金型商品は劇的に契約者数を伸ばし、新たなビジネスチャンスを手にしています。公的年金のありようは、民間保険会社の利益と直結するものであることは明らかであり、公的年金の担い手に民間保険会社が参入してくるとすれば、年金行政の公共性を大きく歪曲し、特定企業の利益誘導をもたらす危険性があります。加えて、法人の役職員に民間保険会社の幹部を登用するなら、その危険性はきわめて高いものとなります。
3.行政が効率性のみに変質
法案は、役職員の処遇について、勤務成績を反映させるとし、また役職員は、「保険料により運営される年金事業の意義を自覚し、強い責任感を持って、誠実かつ公正に職務を遂行する旨の服務の宣誓を行う」としています。
国家公務員は、国家公務員法及び政令の定めにより服務の宣誓を行います。その内容は、「私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います」というものです。概要が示す宣誓の内容は、憲法遵守や法令に従うこと、不偏不党といった公務の基本原則が欠落する一方、「保険料により運営される年金事業の意義を自覚し」と、効率性を強く意識した記述が見られます。公的年金は、憲法第25条が規定する生存権、国の生存権保障義務を具体化するものに他なりません。役職員の選任基準は明らかではありませんが、法案からは、この根本精神をないがしろにし、大きく逸脱する方向性をみてとることができます。
日本国憲法 第二十五条【生存権、国の生存権保障義務】
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
国民年金法 第一条
国民年金制度は、日本国憲法第二十五条第二項 に規定する理念に基き、老齢、障害又は死亡によつて国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によつて防止し、もつて健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とする。
3.年金個人情報の流用が懸念
法案は、年金運営事業の委託を受けた事業者に守秘義務を課すとしています。また、年金個人情報については、国の行う事業以外への利用・提供を、罰則付きで禁じています。
さまざまな民間開放議論において、「国家公務員と同様の守秘義務を課すことにより問題は生じない」との考え方が主張されています。しかし、民間保険会社が年金業務を受託し、年金の個人記録に接した場合、果たして問題が生じないかには疑問があります。年金記録からは将来の受給額を容易に予測できることから、個人の年金額に応じた年金型商品の提案が可能となり、本業にとって大きなメリットを得ることができます。
また、年金記録は、被保険者の所得に関する情報が含まれています。こんにち、格差拡大が加速する中で、収入階層に応じた商品開発・販売が広まっています。個人の収入情報は、あらゆる企業にとって喉から手が出るほど欲しいものであり、受託事業者から流出する懸念は払拭できません。
こうした行為は明らかに守秘義務に反するものですが、実際に行われたとしても表面化することはないでしょう。その点で、他に情報の使途を持たず、身分が保障された公務員が行うこととの間には、大きな違いがあります。
4.年金制度の安定的運営が困難に
また、法案は日本年金機構の業務を積極的にアウトソーシングとしていますが、これにはさまざまな問題が生じます。
公的年金制度は、きわめて長期間にわたる加入状況や保険料の記録管理によって、はじめてその運営が成り立つという特殊性があります。何十年にも及ぶ個人の加入記録のうち、たとえ1ヵ月でも空白が生じれば、正確な年金給付を行えない事態となり、年金不信を引き起こすことになります。
民間委託の仕組みは、入札によって受託事業者を決定しますが、おそらくその契約期間は長くても3年から5年程度と思われます。事業者交替の都度、制度を熟知せず、不慣れな担当者が実務を担うシステムは、制度の安定運営にとって決定的な弱点を抱えることになります。
公共サービス改革基本方針では、受託事業者が適切な業務運営を行わない場合、国による指導や罰則の適用、契約の解除等を定めています。しかし、公的年金の運営においては、前述したように「年金の記録管理が不適正なので契約を解除する」では手遅れです。だからこそ、国が直接運営する必要があるのです。
5.ワーキングプアをつくり出す
一般競争入札では、入札価格の安い事業者が落札します。「市場化テスト」では、業務の質と価格を評価して、受託事業者を決定するシステムですが、そこでも、企画書でそれなりの業務に関する記載があれば、どこが安いかの価格競争となります。その場合、人件費が抑制されることは避けられません。既に民間委託がさまざまな分野で導入されている自治体の職場では、雇用契約ではなく請負契約を労働者と交わすことにより、最低賃金さえも下回る実態が報告されています(2007/02/24東洋経済)。新たに設置するという公法人の業務をアウトソーシングし、民間事業者に受託させることは、社会問題化する「ワーキングプア」と呼ばれる働く貧困層を、公的年金の職場で拡大することにつながります。
6.公的年金とは相容れない目標設定
法案は、法人に年間計画(事業計画・予算)の策定を求めるとともに、3〜5年の間に達成すべき中期目標の設定を求め、厚生労働大臣がその実績を評価するとしています。法人の会計は企業会計原則を導入することも記述されています。
法人が、「赤字、黒字」を評価するようなことになれば、給付の締め付け等につながりかねません。また、職員の人件費削減など、リストラが加速することも懸念されます。
年金保険料の納付率向上を目標として掲げ、これを無理に進めれば、未納問題の繰り返しとなるでしょう。
公的年金制度が憲法に定める生存権の具体化である原則に立つなら、民間的な目標設定などの手法は、公的年金事業の運営と相容れるものではありません。
7.不透明なアウトソーシングの振り分け
法案やこの間示された参考資料によると、年金公法人の設立準備のため、「年金新組織改革推進会議(仮称)」と、「職員採用審査会(仮称)」の二つの第三者機関を設置するとしています。
「年金新組織改革推進会議」は、民間有識者で構成し、「法人が自ら行う業務と民間委託する業務の区分」「委託先の選定基準」「法人の設立に際して採用する職員の数」「職員の採用についての基本的事項」等を審議し、政府に意見を述べることとしています。
民間有識者とはいかなる知見を持つ人物を言うのかはいっさい明らかではありません。本来なら、公的年金の役割や国民の生存権保障に理解の深い学者等がふさわしいことは明らかです。しかしながら、この間、政府に設置される公務の民間開放に関する各種審議会等の委員構成は、市場万能や民間企業のビジネス拡大を主張する人物で占められています。この審議会がそうした構成になるなら、国民の権利保障が軽視され、民間への利益誘導がはかられることとなります。また、職員数を過度に抑制し、公的年金の安定的運営が阻害されることも懸念されます。
参考資料では、「民間の有識者をもって構成し、中立性・独立性を確保する」と記述されていますが、「公共性」が欠落しているところに、この会議の性格が透けて見えます。
8.年金業務の一体的運営を阻害
法案は、悪質な滞納者に対する滞納処分について必要があると認められるときは、保険料の滞納処分の権限を、財務大臣を通じて国税庁長官に委任できるとしています。
しかし、悪質な滞納者の検討方向の中には、「2年以上の長期滞納」といった機械的な切り分けまで示され、「悪質」の定義から、あいまいにされています。
また、たとえ「悪質」であったとしても、年金保険料の徴収は、制度の目的や重要性をねばり強く説明し、滞納者の理解を得ることで納付に結びつけることが大原則です。制度官庁以外に権限を委任することは、この原則から大きく逸脱します。
同様に、国税徴収においても、国税の専門知識にもとづいた徴収業務が行われているのであり、国税庁は決して国の「取り立て機関」ではありません。概要は、国税庁に対し業務量増をもたらすにとどまらず、国税庁の使命と役割を変質させるものといっても過言ではありません。
(4)国は雇用責任を果たすべき
1.新法人移行時の労働条件劣化は必至
法案は、職員の採用について、社会保険庁を一旦退職し、法人の職員となる意思を表示した者の中から採用者を決定するとして、職員の採用に関する流れを次のようにしています。
1)設立委員が法人職員の労働条件及び採用基準を提示して、職員を募集
2)社会保険庁長官が、社会保険庁職員の意思を確認し、希望者名簿を作成し設立委員に提出
3)第三者機関である「職員採用審査会」の意見を聴いた上で、設立委員が採否決定
4)採用通知を受け取った者は、法人設立時に社会保険庁を退職し法人職員として採用
5)不採用となった社会保険庁職員の転任、退職又は免職は国家公務員法による
ここで言う法人職員の労働条件及び採用基準は、前述した「年金組織改革推進会議」の審議が反映された「採用に関する基本的事項」によるものと思われます。したがって、社会保険庁に勤務する勤務条件を継承するものではなく、効率性を意識した「有識者」によって労働条件の低下がもたらされる危険性があります。
2.労働組合敵視、無責任な採用システム
設立委員会は、人事管理に関する学識経験者から成る「職員採用審査会」の意見を聴き、採否を決定することとされています。
ここでも、「人事管理に関する学識」とはいかなるものであるかが、まったく明らかでありません。労働者の権利保障に関する知見は不可欠と考えますが、いわゆる企業の人事・労務管理の立場から、採用選考に口出しをする機関ができあがる危険性が高いと想定されます。自民党はこの間、「自治労、社会保険庁、日教組対策委員会」なるものを立ち上げていることからも、労働組合敵視の採用選考が徹底されることが懸念されます。
また、「職員採用選考審査会」は、設立準備のために設置される機関であり、採用される職員の雇用・労働条件に責任を負う立場にはありません。そのような立場の者が、職員の採用に関して口を出すこと自体が、きわめて異常な姿と指摘せざるを得ません。
3.分限免職は許されない
この間示された参考資料には「社会保険庁の廃止と分限免職」が示されています。そこでは、「従来の裁判例等に従えば、…社会保険庁長官は…分限免職を回避するように努める必要があり、…その努力を尽くさずに国家公務員法第78条第4号による分限免職処分をした場合には、裁量権濫用により違法となる」と明記しています。そして、社会保険庁長官の分限免職を回避するための努力として、検討中としながら、(1)厚生労働大臣に対し、転任の受け入れの要請、(2)国家公務員雇用調整本部を通じて、他省庁に対し、転任の受け入れの要請、(3)勧奨退職の募集、を掲げています。
しかしながら、社会保険庁長官が努力を行った上で、(1)新法人に採用される者、(2)自ら退職する者、(3)厚生労働省他部局や他省庁に転任する者、のいずれでもない者は、社会保険庁廃止時に分限免職となるとしています。さらに、どの職員を転任の対象とし、どの職員を分限免職とするかは、「任命権者が勤務成績、勤務年数その他の事実に基づき、公正に判断して定める」としています。
「社会保険庁長官の分限免職を回避するための努力」が示されている点は当然ですが、その「努力」は形式的なものになりかねません。「厚生労働省や他省庁の理解が得られなかった」でも、「努力を尽くした」として分限処分に至る懸念は払拭できません。
法人の職員採用や配置転換、転任、分限等にあたり、いわゆる「不正免除」を行ったか否かが考慮されることも懸念されます。しかし、前述したようにこの問題は、村瀬長官の納付率向上至上主義がもたらしたものです。にもかかわらず職員は処分によって制裁を科せられており、さらに当該職員が不利益を被るなら、不当な二重制裁に他なりません。
転任となる者と分限免職となる者の選別を、長官に委ねていることも問題です。社会保険庁はこれまでも、下位評価の分布率を定め、一方的に「勤務成績不良者」をつくり出す労務管理を行ってきました。参考資料で、「勤務成績、勤務年数その他の事実に基づき、公正に判断して定める」としているいのは、人事院規則からの引用ですが、この内容は管理者に広く裁量権を与えたもので、いかようにも運用できるものです。こうした方法によって分限免職が行われることは、断じて容認できません。
5 筋の通らない国民健康保険での制裁等
「国民年金事業等の運営の改善のための国民年金法等の一部を改正する法律案」では、「社会保険制度内での連携による保険料納付の促進」として、国民年金保険料未納者に対して、国民健康保険証の有効期間を通常より短期に定める制裁措置を盛り込んでいます。また、国民保険料を長期に滞納する保健医療機関、保険薬局、指定訪問看護事業者、介護サービス事業者、社会保険労務士に対しては、指定取消を行うとしています。
国民年金法と国民健康保険法は、目的も異なり、まったく別の制度として設置されています。にもかかわらず、国民年金保険料未納の制裁を、国民健康保険制度で科すことなどとうてい筋が通りません。
保険料納付の促進を言うなら、生活保護水準程度に年金保険料を引き上げるなど、制度改善により国民の年金不信を払拭するとともに、制度の理解を求めるていねいな働きかけこそ必要です。
社会保険庁に対する国民の批判を煽り解体法案を提出し、単独ではとても理解が得られない別制度での制裁を潜り込ませようとすることは、あまりに姑息な手段と厳しく批判するものです。
以上
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