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国公労新聞 2007年1月10日号 第1250号
     
 
 

 

 ◆“台風銀座”の島民の安全を守れ
 長崎県五島列島 全気象福江分会 測候所の存続と機能拡充求め、奮闘中


 四面を海に囲まれた長崎県五島列島は、福江島、久賀島、奈留島、若松島、中通島の5つの島を中心に、約140の島からなります。キリシタン信仰の文化と迫害の歴史を持つ美しい島々です。最大の福江島は、かつて富士山測候所で働いていた新田次郎著の海洋小説『珊瑚』の舞台。九州最西端の五島列島は毎年、台風や大雨による自然災害にさらされてきました。測候所の存続と機能拡充を求め、運動を展開している気象庁福江測候所(長崎県五島市)で働く全気象福江分会を訪問しました(教宣部・中田智子)

 「五島列島は、まさに『台風銀座』。福江測候所は、自然災害から地域住民の生命と財産を守るため、注意報、警報、台風や大雨情報などを発表しています」と全気象福江分会長のAさんは語ります。漁業、農業、観光が基幹産業である福江島にとって、天気予報は生活の要そのものです。

 ◇測候所の予報なくなりサービス低下
 しかし、気象庁は福江測候所の予報業務廃止を計画し、ついに06年12月に正式に発表しました。07年4月から対島の厳原測候所と福江測候所の予報業務を、長崎市にある長崎海洋気象台一本に集約しようというものです。執行委員のBさんは、「これでは、防災体制の弱体化、住民へのきめ細かい気象サービスができません」と危惧します。

 ◇測候所「原則廃止」住民の不安次々と
 96年には全国に98カ所あった測候所は、現在41カ所にまで減らされてきました。九州では、雲仙普賢岳測候所も05年に廃止になりました。政府は06年6月、すべての測候所を5年間で「原則廃止」を決定。危機感が一気に高まりました。
 全気象の長崎県内共闘会議に結集して「地域に出よう」と意思統一。厳原・福江測候所の存続と防災情報発表業務の継続を求める署名(「存続署名」)と、「気象事業の整備拡充を求める署名」2種類を手に、自治体、漁協、商工会、農協、町内会連合会、連合など広範な団体に訴えました。
 全気象福江分会はチームをつくり、若さをエネルギーに明るく元気に五島列島を巡回。とりわけ、住民の要望を聞くことを忘れません。「離島は孤立している。測候所がないと不安でたまらない」「突然の欠航で、民宿は不要となった食材自己負担で経営を圧迫。雲の情報も」など防災に対する不安や、地場産業に対する情報提供を求める声が噴き出しました。

 ◇五島市長からも激励市議会で意見書採択
 「中尾郁子・五島市長から『もっと、がんばりなさい』と激励され、『近所に配布するからもっと署名を』など賛同が広がりました」と話すのは書記長のCさん。
 分会では、署名や紹介議員への協力依頼など、励ましあい、組合員が一丸となり奮闘。これらの運動の中から、06年9月、五島市議会では「福江測候所を存続させ、機能拡充を求める意見書」が採択されました。

 ◇国会を動かす運動地域からつくろう
 福江分会は、「存続署名」をわずか1カ月半で6,271筆集約。組合員一人あたり447筆です。署名を携え、Aさんは12月4日に上京し、国会請願行動を展開しました。Aさんは「初めての経験で緊張しましたが、紹介議員を快諾してくれた時は、苦労が報われました」と爽やかに話します。そして「今後、地域住民の運動にしていきたい」と抱負を語りました。
 
 

 

 ◆島民生活の「命綱」 九州最西端の福江測候所
  地域活かす気象情報がほしい


 五島列島は、中国大陸からの酸性物質が最初に飛来する地域。福江測候所は、環境の変化や気候の変動を調べるため生物季節観測も実施しています。地場産業、防災対策、地域住民生活にかかわって、地元の方を取材しました。

 ◇予報は魚民の命にかかわる
 「海の天候は急激に変わるので、風と波浪の予報は漁民の命にかかわる問題。コンピューターなど機械だけに頼ってはいけません。福江測候所に電話すると情報を教えてくれるので助かります」と五島ふくえ漁業協同組合組合長は語ります。
 「国として、住民に大切なものは残してほしい。測候所は本当に必要なので、国公労働者はもっと行動を」と、漁協として積極的に署名に協力していると組合長はこう激励してくれました。

 ◇緊急時には「人間の声」
 「台風時は住民からの問い合わせが殺到し、電話がパンクするほど。経費節減で警察とのホットラインは廃止しました。だからこそ、測候所とのラインは命綱です」と五島市消防本部のDさんは自治体としての苦労を語ります。
 福江測候所は、台風が接近し災害等の危険が予想される場合、事前に防災機関等を対象に説明会を行っています。五島市消防本部のEさんは、「緊急時に必要なのは、メールではなく『人間の声』。住民の命と安心・安全を守る使命を果たすためには、地元の正確な情報を直接聞き、相談できる、離島に根ざした測候所が頼りです」、と自治体と測候所の連携の重要性を話しました。

 ◇このままでは五島が沈没してしまう
 「私は漁師ですから、海の恐ろしさと、人間の判断の大切さを身をもって体験しています。最西端の測候所は、日本全体の防災情報や環境の保全のために調査できる前線基地。被害が起きてからでは遅いのです」と熱く語るのは五島民主商工会副会長。郵便局廃止問題にもふれ、「構造改革のひずみで地方にしわ寄せばかり。公共サービスの切り捨ては、離島切り捨てそのものです」と話します。
 建設関連で働く五島民商会長は、「このままでは五島が沈没してしまう。大企業ばかりが生き残り、庶民は大増税、社会保障切り捨てで業者はどん底の生活で苦しんでいます。格差社会に反対し、地域から世論を変えなければ」と訴えます。

 ◇測候所を守る会発足に向け決意
 分会書記長のFさんは、「漁師の情報も得ながら予報を出しています。懇談を通じて、地域特性を生かした気象情報提供の重要性を痛感しました。今後、組合として街頭宣伝や『お天気出前講座』などをやりたいですね。『測候所を守る会』発足のため、五島市商工会など地域住民とともに運動していきます」と新たな決意を語りました。

 ◆地域住民と連帯した運動を 国公九州ブロック
 「防災情報は国の責任で!」と気象事業の整備拡充を求め、福江分会と一緒に汗をかき、長崎県内の自治体、政党、各種団体を駆け巡った九州ブロック国公事務局長のGさん。「測候所を知らない人が多かったです。国公の仕事をもっとアピールすることが大事です」と話します。

 ◇気象が軍事機密の時代
 Gさん自身が気象労働者。戦争中、気象情報が軍事機密とされ国民にいっさい知らされないまま、多くの尊い命が奪われた歴史を二度と繰り返したくないといいます。
 「いまこそ憲法改悪や格差拡大に反対する運動が求められます。測候所機能の拡充強化のたたかいで、住民の切実な要求実現のために、幅広い諸階層との共同の大切さを学びました。地域住民と連帯した07春闘をたたかいます」とGさんは笑顔で語りました。

 ◆測候所の情報は住民の利益
  福江ケーブルテレビが、福江分会を取材

 「地元の強い要望でやっと設立した福江測候所なのです。存続署名を要請すると住民が『国の都合で勝手につぶすのはおかしい。地元の意見も聞いて』の声ばかりです」と、分会長のAさんは話します。
 89年の歴史をもつ福江測候所。地元住民の命を守るため1932(大正7)年、当時の富江村役場に委嘱し、気象観測を開始しました。福江測候所の歴史と役割、廃止になったときの問題点について丁寧に取材し、報道したのは地元の「福江ケーブルテレビ」です。 「漁業・農業中心の福江島は天候で生きる島。測候所廃止の犠牲者は地域住民です。メディアとして、事実を公平に伝えなければと思い、全気象福江分会を取材しました」と福江テーブルテレビ業務統括部長のHさんは話します。
 地元住民の生活に必要な情報を正確に報道することをモットーに、地元に根ざした企画に挑戦するHさん。「福江からの予報が一番正確です。もっとキャンペーンをして、地域のための行政の大切さを言い続けることですね」とエールを贈ってくれました。
 
 

 

 ◆広がる「9条改憲」反対の世論 国公労連・新聞意見広告運動
  憲法意見広告に反響 讀賣新聞11月26日(日)朝刊に掲載


 ◇「今後も勇気を持って正論主張を」
 国公労連は06年11月26日、読売新聞に全面の「意見広告」を掲載。読者から国公労連に対し、電話、メールなど44件が寄せられるなどの反響がありました。その一部を紹介します。

 ◇国公労連の発表に鳥肌たつほど感激
 読売新聞に「憲法9条が未来をひらく」という大胆な意見広告を、それも、これまた逆風にさらされている国家公務員の労働組合が発表するというところに、私は鳥肌が立つほど感激しました。
 そういう意味では、まだまだ日本という国も捨てたものじゃないとも感じました。
 九条の会をもっともっと大きくして、またみなさんのような民主的な労働組合を大きくして、国民過半数が九条の会に参加するほどの大きなうねりをつくりあげましょう。 今回の意見広告、本当にご苦労さまでした。私自身もたいへん勇気づけられました。

 ◇小さな力だけど友人に話しかけ
 公務員がこういうことをしてくれるとありがたい。自分も小さな力だけれど、友人などに話しかけている。

 ◇ちひろの絵のように命の輝きを大切に!
 安倍さん言うところの「美しい国」とは、意見広告で告発している「戦争をする国」のことでしょう。
 戦争は憎しみの連鎖だけを産む“悪”でしかないということ、まさに「美しい」という言葉の対局にあるのが戦争だということをもっともっと多くの人に伝える必要があります。
 いまこそ戦争の悲惨さ、戦争は害悪以外の何ものでもないことを、労働組合などの民主団体はもっと宣伝すべきだと思います。
 いわさきちひろさんの絵のように美しい生命の輝きをもっと大切に。

 ◇私も大きな声を出していきたい
 久しぶりに感動的な意見広告をみたので思わずペンをとる気になりました。私もみなさんと全く同じ思いでいます。
 なんかイヤなこの頃、イヤな空気を感じていたので、思わずソォダーと大声を出したくなりました。しっかり平和を守っていかねばと思います。そして、もっとこの声を他のメディアにも載せて伝えていきましょう。私も、私なりに大きな声を出していきたいと思います。ガンバリましょう。

 ◇九条を守ることが平和だと気づいた
 意見広告を読ませていただきました。つきあいもあって読売新聞を読んでいますので、北朝鮮の問題などもあり憲法を改正するのが、さも当たり前のような感覚におちいっておりました。
 しかし、「九条の会」の方々の御意見をよくよく読ませていただくと、ごく普通の感覚で、冷静に考えると、どうも憲法九条をきちんと守ること、教育基本法を守ることの方が、よほど正論だと思いましたし、平和のためになると気づかされた次第です。
 公務員の方々にも風あたりが強く、たいへんな御時世だと察しますが、今後も勇気を持って正論を主張ください。
 
 

 

◆新春インタビュー〈女優・大路 恵美さん〉
 役柄をつうじて平和に関心持った


 テレビドラマ「ひとつ屋根の下」(93年、97年フジテレビ系)で、二女・柏木小梅役を好演した女優の大路恵美さんは、現在はミステリーや時代劇、さらには舞台にも活躍の幅を広げています。また、原水爆禁止世界大会に賛同メッセージを寄せるなど、平和に対して強い関心をもっています。(聞き手=浅尾大輔さん・国公一般書記次長)

 おおじめぐみ 1975年9月27日、兵庫県生まれ。1990年西武百貨店夏キャンペーンでデビューし、現在多方面で活躍中。主な出演作には、TVドラマ「ひとつ屋根の下1・2」、同「剣客商売1〜3」、同「京都迷宮案内2〜5」、同「永遠の君へ」(主演)、連続テレビ小説「芋たこなんきん」、映画「ひめゆりの塔」などがある。今春は、時代劇「鬼平犯科帳スペシャル・一本眉」(フジテレビ系)、舞台「リターン」(東京・スペース早稲田にて2007年3月20日から公演)、ラジオ「京極ドラマ 百器徒然袋『風』五徳猫」(ニッポン放送)などに出演の予定がある。

 ◇思い叶って女優に
 浅尾:女優になるきっかけは何だったのですか。
 大路:もともと「テレビに映る人になりたい」と強く思っていました。一度はみんな「テレビに出てみたい」なんて思いを抱くじゃないですか(笑)。それをやってしまった…みたいな感じですね。この仕事を始めたのは中学生の頃からなんですよ。
 浅尾:もちろんオーディションは自分で申し込んでですか。
 大路:そうですね。もう、ノリです(笑)。

 ◇自分自身に向き合うこと
 浅尾:女優を続けてこられて、嬉しかったことは。
 大路:まず、自分ではない人間を演じることが面白いですよ。それは、知らない自分に出会うっていうことなんですよね。役を演じていると「この人はこう考えているけど、私は違うなぁ」とか「私だったらこういう風な女の子の動きはできない」とか…。 それまで自分のことを突き詰めて考えることがあまりなかったので、「演じること=自分自身に向き合う」ことで、「あぁ、私ってこんな事を考えているんだ」という、新しい自分と出会うことが、最初の頃はとても新鮮でした。
 浅尾:逆に大変だったことやつらいことは。
 大路:演じるなかで、見たくない自分がとてもたくさん出てくる。嫌でも見えてくるんですよ。「役」だけと割り切って考えればいいことなんですが、そういう自分と向き合うことは、実はとても大切で、向き合うことで自分自身の弱い部分や情けない部分がたくさん出てくる…。きっと役柄を考えなかったら、そんなふうに考えなかっただろうって。そういうところまで突き詰めて考えてしまうので、新鮮だけどそれがまた逆にとてもつらい作業ですね。
 もちろん、単純に役柄として全然できていないこともたくさんあって、そういう時は自分に不満を感じ嫌になります。「なんでできなかったんだろう」って。
 浅尾:印象に残っている役柄を教えてください。
 大路:テレビドラマで初めて「悪魔」役をやった時は、お手上げ状態というか、「え〜」って感じで…(笑)。人間じゃないじゃないですか(笑)。今まで、人間の役しかやってこなかったから、根底にある物が全然違ってくる。だから、逆にどんどん自分で作り上げれればいいのですが、あの時の私にはその発想がなかなか出てこなかったりして…。

 ◇生き生きとパワフルに
 浅尾…めざしている女優さんはおられますか。
 大路…「京都迷宮案内」(テレビ朝日系)で共演していた野際陽子さんや「智子と知子」(TBS系、97年)で共演した白川由美さんを見ていると、すごく生き生きして、とてもパワフルで、そこにいるだけで存在感がある。それは、決して押しつけがましい存在感ではないんです。
 私は、今すぐは無理ですが、20年後、30年後にそんなふうになれたらと思います。優れた女優さんの内部には確立されたものがあって、それと比べると自分なんてまだまだだと…。今は、本当に修行の身です。

 ◇「ひめゆりの塔」で影響を受けて
 浅尾:大路さんが平和に関心を持つようになったのは。
 大路:「平和」について意識するようになったきっかけは、映画『ひめゆりの塔』(神山征二郎監督、95年)に出演したことですね。当時、私は20歳だったのですが、50年前の戦争のなかに生きている女学生の役をやったことで、今までになかった、身近な疑似体験というか、戦争は本当に嫌だなぁっていう思いがわき上がってきました。凄く悲惨だし、つらいし、自分の周りの女学生がどんどん亡くなっていく。そのことが、自分の心に染みて戦争って嫌だという思いがはっきり生まれました。この仕事を通して「平和」について考えることができ、すごくありがたい経験でした。
 もし「平和」について考えないまま今まで来ていたら、もっと大変な状態になっていることを自分で感じられないで生きていたのだろうなって。だからこそ、その後も戦争の悲惨さを伝えるドラマに出演することにとても嬉しく思っています。
 ドラマや演技を通して「こういう問題はどうですか?」と訴えられるようになれるということが、自分にとって意味があると思うし、今後もそういう機会があれば、と思っています。
 浅尾:そういうお話を聞いて、いま、すごく感動しています。
 大路:この時代にみんながみんなすべてを体験できるわけではないので、映画やドラマを見てもらって何かを少しでも感じてもらえたら、と思っています。自分の職業としてできることはそういうことなのかなと。これから先も本当にそういう作品にずっと出会えて生きて行けたら幸せだと思っていますね。
浅尾:今日は、お忙しいなか本当にありがとうございました。
(編集=教宣部・酒井)
 
 
 
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