◆【岩手でボランティア活動】
全法務書記次長 中坊 廉男さん
全法務書記次長の中坊廉男さんは、全国災対連と全労連との共同で実施している東日本大震災の救援ボランティアとして、4月7日〜15日まで岩手県で活動してきました。中坊さんのボランティア手記を編集部がまとめました。
◇「被災地の物資いまだ不足」
4月7日午前10時、全国災対連・全労連の共同運行バスが東京・全労連会館を出発した。全法務中国地本書記長の竹本耕一さんもいっしょだ。目的地の岩手県大船渡市三陸町まで9時間。23時にM7・4の地震が発生。大船渡では震度6弱、津波警報が発令された。
◇孤立した集落で
8日。陸前高田市で地元の民主商工会と支援物資の配達をした。孤立した集落では、子どもも含め50人以上が集まり、車2台分の物資が30分程でなくなった。物資はまだ不足していた。
9日は、大船渡市役所三陸支所の片付けや資料の運び出しを手伝った。父親が津波で行方不明の職員は、捜索を後回しにして奮闘していた。午後から全労連事務局長の小田川義和さんも駆けつけて、作業。
10日。翌日から再開する診療所の復旧を手伝った。診療所長は、「隣の娘さんが、おばあさんを迎えに行ったため津波で亡くなった」と悲しそうに語った。
11日。三陸町公民館で、書類整理の作業。14時46分、サイレンの音が鳴り響いた。作業の手を一旦止めて、黙祷した。震災から1ヵ月がたった。
◇移転作業手伝う
12日。午前は小学校の移転作業を手伝い、午後は大船渡市内で地元ボランティアや大阪、愛知などから来た社会福祉協議会の人たちと小学校へ90トンもの米を運んだ。
13日。移転した小学校へ三陸支所の書類を搬送した。支所の職員とボランティアあわせて20人程。中国地本の竹本さんは、「階段が上がれなくなるほどキツかった。一番、大変な作業だった」と感想を述べた。
14日も三陸支所の書類を搬送。土地台帳や元禄国絵図(江戸幕府時代に作成され、10畳程の大きさ)など、貴重な資料が津波の被害を逃れていた。
◇一歩ずつ進む
最終日の15日。朝、ゆっくり散歩。1週間の滞在の間に、鉄骨がむき出しに残っていた建物は解体され、新しい電柱が立ち、景色は大きく変わっていた。桜が咲き始めていた。桜が散る頃には、また一歩進んでいることを思った。碧い海も長い年月が必要だろうが、必ず漁や養殖ができるようになるだろう。
被災者から聞いた辛い体験や思い、私自身がこのボランティアで学んだことを伝えていこうと思った。
【全国災対連とは】
「災害被災者支援と災害対策改善を求める連絡会」(全国災対連)は、東日本大震災救援のための共同センターを立ち上げ、被災地、岩手、宮城、福島への物資配送とボランティアの現地受入を行っています。
全国災対連は、阪神・淡路大震災で支援活動に取り組んだ団体が、継続的な災害被災者支援や災害対策制度の確立を求め、1995年に結成。全労連、国公労連、自治労連、全教など労働組合と国土問題研究会、日本科学者会議、全日本民医連、医療福祉生協連、全国保険医団体連合会、全商連、農民連など幅広い民主団体や兵庫、新潟、宮城、東京など各地域組織が加盟しています。
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