気象庁の「エ−ジェンシ−化、民営化」には反対です
【理由】
国土ならびに国民の生命、身体および財産を災害から保護することは、国の重要な責務です。
また、天気予報はすべての国民に等しく提供され、国民生活に必要不可欠な情報であること、気象業務が国際協力を要する事業であることなどから、気象庁の「エージェンシー化」や「民営化」には反対です。
【補強意見】
(1)防災情報の提供は、国の重要な責務です。
天気予報にとどまらず、地震や津波、火山、大雨、洪水に関する情報や観測デ−タなど気象庁が発表している情報は、国や都道府県などの防災に直結しています。
中央防災会議が決めている「防災基本計画」では、地震、津波、風水害、火山、雪害などの対策について、気象庁に「情報の収集伝達」を求めています。とくに、震災対策については、「地震が発生した場合、まず気象庁が地震情報および津波予報等の連絡を、官邸、関係省庁、関係都道府県および関係指定公共機関に行う」ことが定められ、重要な責任を負っているところです。こうした情報は、国民の生命と財産に大きくかかわるもので、台風、大雨、地震、火山などの自然災害が多いわが国においては、とりわけ重要です。
また、注意報警報のように災害に結びつく恐れのある情報は、民間の気象会社が各社勝手気ままに発表したのでは、デマや流言飛語など、社会的混乱が発生する引き金になる恐れさえあります。
以上のことから、防災情報の提供は、国の行政機関である気象庁が国の責務として行うべきです。
(2)気象庁の天気予報はナショナルミニマムです。
天気予報については、気象庁の発表だけでなく、すでに民間の気象会社による情報提供も行われています。しかし、これには明確な役割分担があり、気象庁はナショナルミニマムとしての予報を、民間は特定ユ−ザ−を対象とした予報を行っています。
仮に、気象庁によるナショナルミニマムとしての天気予報がなければ、わが国は「天気予報すらも国が提供できない国家」ということになってしまいます。また、お金持ちや財力のある自治体に居住している住民は豊富な情報を入手できても、そうでない人や過疎の町村では、入手すら困難になる恐れもあります。
このように、天気予報は防災情報であると同時に、国民が生活していくうえで必要不可欠な情報であり、ナショナルミニマムとして、国が責任をもって国民に提供すべきです。
(3)気象業務の健全な発達を図ることも気象庁の重要な任務です。
気象庁の重要な任務には、気象業務の健全な発達を図り、災害の予防や交通の安全確保、産業の振興に努めることもあります。気象業務をめぐっては、また、現在の多様化する気象業務のニ−ズに応えるには、気象庁だけでなく、関係省庁や地方自治体、さらには民間気象会社などと共にすすめなくてはなりません。
気象庁は、社会に対して提供される情報の信頼性を維持向上させるため、こうした機関に対する指導、助言、勧告を行う責任をもっており、そのことからも気象業務の「エ−ジェンシ−化、民営化」はなじまないものです。
(4)気象業務は国際的なものであることから、国の責任で業務を行うべきです。
気象庁は東アジアの中枢的な気象機関として、これらの諸外国から期待されています。気象衛星のデ−タは、アジア、オセアニアなど27の国や地域で利用されているほか、WMO(世界気象機関)の台風委員会では、発展途上国へ、気象衛星「ひまわり」を無線中継局としたデ−タの提供を行うよう求めています。さらに、近年、地球的規模での観測監視が必要な気候変動や地球環境問題、CTBT(核実験全面禁止条約)監視のほか、航空路火山灰情報の提供なども求められています。
また、「大気に国境はない」といわれるように、気象デ−タは国際交換され、全世界に提供されています。仮にロシアや中国の気象デ−タが入手できなくなれば、わが国の 気象業務に多大な影響を及ぼすことは明らかであり、気象業務はこうした世界各国の協力で成り立つ業務です。
こうした国際協力、国際貢献という視点からみても、気象業務は国の事業として行うべきです。
(5)観測デ−タの収集には莫大な経費がかかり、高額な「情報料」を徴収することは困難です。
天気予報にとどまらず、地震、火山、海洋、オゾン、気候変動などを観測監視し、的確な情報を発表するためには、精度の高い観測デ−タが必要です。しかし、こうした観 測デ−タを収集するためには、アメダスやレ−ダ−の設置、気象衛星の打ち上げ、海洋観測船の運航のほか、点検修理や更新など、維持管理に莫大な経費が必要です。
一方、気象業務を民営化した場合、当然「採算性」が問われることになります。観測デ−タの収集に必要な経費をまかなうためには、かなり高価な「情報料」を、国民、民 間気象会社、航空会社、マスコミ、さらには関係行政庁や都道府県などにも求めざるを得ません。
現在、多くの国民は、天気予報や地震情報をテレビやラジオ、新聞などのマスメディアを通して無料で入手できます。また、「177」の天気予報サ−ビスや気象官署への天気相談も、通話料だけの負担ですむことが定着しています。
こうした状況のなかで、高価な「情報料」を徴収することは、きわめて困難であり、納税者からは「税金の二重取り」と批判されかねません。加えて、「防災情報すらも情報料の負担がかかる」という行政のあり方自体が国の責任放棄であり、憲法で保障された「生存権」との関わりで問題となりかねません。
(6)「民営化」では不採算部門が切り捨てられる恐れがあります。
採算性が問われると、いっそう予算に枠をはめられ、その制約から地震計やレ−ダ−などの観測機器の更新もままならない状況になると考えられます。とくに、観測デ−タの収集は経費がかかるため、採算がとれないものについては観測を廃止されることが考えられます。さらに、人間の目による観測(目視観測)や監視が否定され、機械の能力の限界を超えた機械化がさらにすすめられ、測候所をはじめとする気象官署の廃止縮小が加速する恐れが十分あります。
その結果、観測デ−タが質量ともに現在の水準から大きく低下し、世界に誇るわが国の気象地象観測体制が失われる恐れがあります。また、気候変動対策、地球温暖化予測、地震予知や火山噴火予知などの業務は、長期的な視野での観測、監視、研究が必要であり、こうした部門での業務や研究自体は「民営システム」ではないがしろにされる恐れがあります。
(7)兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)などの教訓が行政に反映されなくなります。
1995年1月に発生した兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)では、尊い人命とひきかえに、防災情報のあり方、伝達方法、組織や体制などについて多くの教訓が残されました。そして、こうした教訓が「防災基本計画」などに反映され、指定行政機関のそれぞれが果たすべき役割が強調されています。災害予防において、情報の収集や発表という重要な役割を果たしている気象庁が民営化されると、こうした教訓を正確に引出し、行政に反映させることができなくなります。