2月27・28日の両日、人事院本院において今回の分限免職にかかる追加口頭審理が開かれました。この追加審理は、人事院が職権で開催した極めて異例なものですが、請求者側の追加尋問の主張も取り入れて実施されたものです。
証人尋問は4人で、1日目は樽見元社会保険庁総務課長(在任2008年7月から2009年12月)と唐澤元厚生労働省大臣官房人事課長(在任2008年7月から2009年7月)、2日目が宮野元厚生労働省大臣官房人事課長(在任2009年7月から2010年7月)と中山元厚生労働省大臣官房人事課人事調査官(在任2006年4月から2009年6月)でした。審理会場は、全国から集まった全厚生闘争弁護団の16人をはじめ、公務と民間の支援者で埋まりました。公平委員会と弁護団による真相を明らかにするきびしい証人尋問は、初日は午後10時まで、二日目は午後7時まで行われました。
今回の証人尋問で、新たに4点の重要な事実が明らかになりました。
第一に、2009年度予算で社保庁廃止後1月から3月までの3カ月間の残務整理として113人分の人件費が確保されていたにもかかわらず、この予算が全く活用せずに525人の分限解雇を強行したことです。仮に3月末まで雇用を継続していれば厚労省や他省庁の欠員補充として社保庁職員の分限免職が回避できた可能性もあります。あらゆる手立てを使って1人でも分限免職を回避するという姿勢が厚労省になかったものであり許されるものではありません。
第二に、職員の継承規定がなかった日本年金機構法が成立した2007年6月末が分限免職回避のための方策を行うスタート時点であったことを各証人が認めたことです。しかし、機構法成立後の2年間、まともな分限免職回避の検討・努力はされず、具体的な対応は2009年6月の機構への採用内定と厚労省への転任内示の後でした。さらに、厚労省への転任と日本年金機構への採用のための面接等が同時並行で行われたことから分限免職の対象者が増えたことです。樽見証人は、二つの手続きが同時に行われたことが分限免職者数を増やす結果になったことを認めました。
厚労省への転任希望者は6千人にものぼりましたが、懲戒処分歴のない職員について日本年金機構への採用手続きを先行していれば、相当数が減ったことが推測できます。この点については、中山証人が昨年の審理と同様に今回もその旨を証言しました。
第三に、最大の分限免職回避策であった厚労省への転任手続きがあまりにズサンで、公正・公平には行われなかったことです。審理では、書類審査と面接結果による総合評価ポイントがA評価であっても転任されず、一方でC評価の者が転任された事実が明らかになりました。なぜこうなったのか、証人はまったく説明することができませんでした。また、厚労省への転任面接にあたって容姿や筆跡などを評価基準にした地方厚生局もあった事実が判明。地方厚生局から報告された転任候補者名簿は公正なものと強弁した中山証人ですが、この事実については厚労省の面接指示に反していると証言しました。面接の手法・評価方法、選考過程のどれひとつをとっても公平・公正に行われなかったことが、厚労省幹部の証言によって明らかになりました。
第四に、年金機構内定者の辞退によって多数の欠員があり、一方で多数の懲戒処分歴のない分限免職対象者がいたにもかかわらず、厚労省は年金機構の正規職員の追加募集を要請していません。年金機構設立委員会を指導する責任は厚労省にあるとの弁護団の指摘に、樽見証人は何らの合理的な理由を示せませんでした。
勝利するためさらに厚労省を追い詰めよう 報告集会で意思統一
報告集会では証人自問で奮闘した弁護団それぞれが発言。東京弁護団の加藤弁護士が今回の口頭審理の成果を報告し、「人事院の判定に向け、みなさんのもう一押し二押しの努力をお願いしたい。これまで明らかになった事実を大いに広めて、厚労省に処分取消を迫りましょう。勝利するため最後まで気を緩めずがんばりましょう」と述べました。傍聴に参加したJAL闘争団、新聞労連、全労連、北海道労連の代表も発言し、国公労連の川村副委員長は賃下げ法案の参院総務委員会での採決強行を報告するとともに、不当解雇撤回へのさらなる支援を呼びかけました。当事者の鶴田さん(東京)は「人事院に不服申立をして本当に良かった。厚労省に対して悔しいし残念な気持で一杯だが職場復帰に向けてがんばる」と決意を表明しました。そのほか、松本さん(東京)、伊藤さん(東京)、川口さん(京都)、中本さん(京都)、國枝さん(愛知)もそれぞれお礼と決意を表明。全厚生闘争団の山本団長(全厚生中央執行委員長)のお礼と「団結がんばろう」で報告集会を終えました。(「全厚生闘争団News」第43号より転載)
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