東京事案で証人尋問開かれる

【とりくみ:社保庁 分限免職】2016-12-06
~社保庁の分限免職は政府方針に違反する~
 12月1日、社保庁不当解雇撤回闘争の東京事案が東京地裁527号法廷において第13回口頭弁論が開かれました。今回は証人尋問が行われ、午前中は原告側証人の盛永国公労連顧問が証言台に立ち、午後は被告側証人で当時の年金機構設立委員会の事務担当だった厚労省の佐藤氏に対する尋問が行われました。また、弁論に先立ち、東京地裁前で裁判所前宣伝行動が行なわれました。

「政府が判断を誤ったのが社保庁事件」と明確に証言
 弁論では、午前中に国公労連顧問の盛永さん(写真右・証言前に決意を述べる盛永顧問)の証人尋問がおこなわれました。原告側による主尋問では、総定員法制定時に「出血整理は行なわない」との政府答弁があること、及びその旨の付帯決議もなされていること、行革推進法に基づく閣議決定である純減計画でも「雇用の確保を図りつつ純減を進める」として雇用調整本部が設置され一人の分限免職処分もなく純減が進められてきたことなど、具体的事実を踏まえた証言がなされました。さらに、盛永さんは、「雇用調整本部を活用すべきだったのにもかかわらず、政府が判断を誤って活用しなかったために起こったのがこの社保庁事件だ」とし、社保庁職員にだけ国公法78条4号に基づく分限免職処分を行ったことは政府方針に反するもので「平等原則にも反する」と明快に証言しました。
 被告側による反対尋問は、「総定員法の所管はどこか」、「行革推進法の所管はどこか」の2点の質問だけで、核心に迫る質問はなにひとつされませんでした。

原告側証人はなにも証言できず
 午後からは、年金機構設立準備室に在籍していた佐藤氏の証人尋問が行われました。原告側による反対尋問では、分限免職回避努力義務の有無や程度に関する質問に対し、佐藤氏は「知らない」「わからない」との回答を繰り返し、最終的には、元社保庁職員の採用過程に関する裁判長とのやりとりにおいて「(自分は)主に民間からの採用を担当していた」と回答し、この事件の真相解明において証人に適さないことを自ら露呈することになりました。

全厚生・川名書記長の証人採用へ
 証人尋問終了後に法廷内で今後の進行について裁判所・当事者間で調整が行われました。加藤弁護士は「真相解明のためには、社会保険庁の解体民営化がなされた経過及び原因につき、裁判所にも適切な事実認識をもっていただくことが必要」とし、全厚生の川名書記長(元社保庁職員)について証人尋問の必要性を改めて裁判長に主張しました。これに対し、裁判長は「川名さんの証人尋問を行なう方向で考える」とこたえ、川名書記長が証人として採用される見込みとなりました。
 
雇用調整本部を活用すれば全員を救うことができた

 弁論終了後、弁護士会館の会議室で報告集会が行なわれました。弁護団の小部弁護士は「盛永証人は、昭和40年から社保庁の分限免職まで一度も出血整理がなされなかった歴史的事実と、それがどういう理由と経過によるものだったのかということについて、非常に迫力ある証言を行った。このような政府の(出血整理をしないという)方針が国会議事録や付帯決議という客観的事実によって裏付けられた以上、裁判所も考慮せざるを得ない」との認識を示しました。
盛永さんの証人尋問を担当した三澤弁護士は「盛永さんが体験したことや組合役員としてやってきたこと等が、なるべくわかりやすく伝わるように進めた。被告側による反対尋問があれだけで終わってしまったのは、盛永さんの迫力がすごかったということ。少し光が見えてきたと思う」と、今回の証人尋問に手応えをにじませました。
 被告側佐藤氏の証人尋問を担当した中川弁護士は「佐藤氏が、懲戒処分歴がある者を一律不採用とする採用基準について『知っていた』とこたえ、『分限努力の必要性が高まった』ということは証言したので、最低限必要な証言はとれた」と振り返りつつも、「それ以外のことについては『知らない』という回答ばかりで、準備していた資料のほとんどが使えなかった」と報告しました。同じく佐藤氏の証人尋問を担当した加藤弁護士は「今回の獲得目標は、碓井氏を証人として引っ張り出すために、佐藤氏は何も分かってないということを明らかにすること、そして政府がまじめに分限を回避する努力自体をしなかったという事実を裁判官に知ってもらうこと」とし、「2009年12月中に追加募集して正職員を雇っておけば、機構の欠員も埋まるし分限免職も減り一石二鳥。でもそれをしなかった理由が佐藤氏の回答から全く出てこなかった」と、上記獲得目標が達成できたのではないかとの認識を示しました。さらに、「理論的には優位に立っていても、社保庁の分限免職は仕方がないという部分についてはまだ裁判所を動揺させきれていない。そこで、当時社保庁の現場にいた全厚生の川名書記長を証人として採用すべきと訴えた」と川名さんを証人採用へと導いた経過を報告しました。
証人として出廷した盛永さんは「他の事案の判決では今のところ全て負けている。なんとか一矢報いたいという思いだった。自分にとっては大役だったが、思っていることはぜんぶ話せた。雇用調整本部を活用すれば525人全員を救うことができた、というのがポイントだった。愛媛事案でも証人申請させてくれと言われている。証人尋問は本当に緊張したが、一度やってみたらまたどこかでやってみたい気がしてきた」と述べて会場の笑いを誘い、最後は「川名さん、大変ですよ(がんばれ)」と川名書記長を激励しました。証人として証言する川名書記長は「社保庁の分限免職で多くの仲間が涙を流した。あのときの怒りを証人尋問でぶつけたい」と、来年の証人尋問にむけた準備をしっかりと進める決意を述べました。
 続いて、東京事案の原告の松本さん(写真左)は「(当事者尋問がなされる)12月19日は僕の本番となる。自分の苦しさや、これは人の道に反しておかしいということを、盛永さんに負けないように雄弁に語りたい」と当事者尋問に向けた意気込みを語りました。また、鶴田さんは(写真右)「私の人生において、これほど多く人に支援され、感謝しなければならないことはない。7年前のことは一日も忘れたことはない。19日は、私の思いを堂々と語り、被告や裁判長に聞かせたい」と力強く述べました。
 傍聴支援の参加者からJAL争議団の下村さん、中部闘争団の磯貝さん、秋田労連の越後屋事務局長、全厚生支える会の杉下副会長からそれぞれ激励の挨拶を受けたあと、国公労連の岡部委員長が閉会あいさつを行い、「午前中の盛永証言ではスカッとする思いになり、午後の佐藤証言では当時の政府がなにもしていなかったことが明らかになった。まさに押せ押せの状況になってきている。12月5日には公務員賃下げ違憲訴訟の判決が言い渡されるが、国家公務員は雇用の面でも賃金の面でも無権利状態に置かれている。あらゆるたたかいでの勝利をめざし、引き続き奮闘していく」と締めくくりました。
 次回は12月19日(月)13時15分から原告らの本人尋問。来年1月18日(水)13時30分から川名全厚生書記長の証人尋問が行われます。

北海道事案が結審。判決は来年3月14日に
 11月24日、北海道事案の第24回口頭弁論が札幌地裁において開かれ、57名の傍聴参加がありました。結審を迎えたこの弁論では原告側が意見陳述を行い、担当弁護士3名と原告の高嶋さんが陳述しました。
 まず、佐藤弁護団長が意見陳述を行い、「人事院が原告の処分取消しを認めなかったのは、病気休職の権利を理解せず検討しなかったことにある。本人に何の落ち度もないのに突然クビにされる理由はない。これは法的にも保障されている」と述べ、いわゆる各論部分において、原告の分限免職を取り消すべきだと陳述しました。
 続いて、橋本弁護士が総論部分についての陳述を行い、「分限免職の適法性についての立証責任は被告国にある」としたうえ、今月16日に言い渡された大阪高裁判決を引用しながら「分限免職回避努力義務の主体は、社会保険庁や厚労大臣のみならず内閣総理大臣をも含む」と述べ、今回の処分で回避努力がいかになされていないかという点について、分かりやすい一覧表を示しながら明快に陳述しました。
 さらに、神保弁護士は「人事評価に基づかない厚労省転任手続きは違法であり、原告の分限免職における実質的な理由が心身の故障であるにも関わらず、人事院規則で定められた必要な手続きがとられておらず違法だ」と陳述しました。
最後に、原告の高嶋さんが「たまたま社保庁がバッシングを受けた時期に、たまたま職場を休職していた、そんな偶然が重なっただけで免職された。深い悲しみと憤りしかない。裁判所には公正な判決を期待したい」と、分限免職された当時の不安や憤りを陳述し、公正な判決を求めました。
 弁論終了後に報告集会が開かれ、弁護団の神保弁護士から「弁論の最後のほうで、私は裁判官に『先週の大阪高裁の判決にご留意ください』と言った。この判決が回避努力義務を内閣総理大臣も負う、と言った部分を意識して言ったもの。これに基づけば国の主張が崩れる。国側の代理人が『これは原告側の(主張ではなく)意見陳述ですので…』と、必死になって判決の基礎にするなと言いたげだった。そのような相手側の態度のせいで大阪高裁判決が重要だと裁判長にわかってしまった」と報告しました。また、橋本弁護士からは「私は総論の部分を弁論した。立証責任、違法性の判断基準、回避努力義務の責任主体、どのような回避努力をし得たか(そしてしてないか)、という点を述べた。なされるべき回避努力については一覧表を示しながら説明した。これを見れば、こんなことができたのに一つもやっていない、だから違法だ、と容易に判断できるはず」との説明がなされました。中島弁護士からは提出した準備書面(20)についての説明がなされ、「各論部分の高嶋さんに行われた具体的処分について違法だということを書いた。厚労省は、当時うつ病で休職していた高嶋さんを面接して『やる気がない』という評価をしたが、うつ病でやる気に満ちた人などいない」と当時の転任手続きの不当さを明るみにしました。同書面の各論部分を担当した三浦弁護士も「病気休職が出来ることは国公法に定められている。病休者を分限するにはきめ細やかな回避努力が必要。しかし、厚労省転任面接では、病人が不利になっても仕方ないとしていた実態があった。判決はこの部分を重視して公正な判断をしてほしい」と述べました。弁護団報告の最後は、佐藤弁護団長が「この訴訟を始めてから丸5年。原告本人が一番大変だったと思うが、みなさんに支えられてここまでこれた。今日の意見陳述でこの分限免職の理不尽さが伝わったと思う。判決は3月だが、裁判所への要請署名等やれることをやって判決を迎えたい」と判決の日まで奮闘する決意が述べられました。 
 全厚生本部からは杉浦副委員長が、このたたかいへの支援に対する感謝と激励にくわえ、全国でたたかっている各事案の状況報告を行い、報告の締めくくりとして原告の高嶋さん(写真右:あいさつする高嶋さん)が「今日は、原点に戻り『なぜこのような酷い目にあったのか』ということを改めて原告として言うべきだと思った。これが、裁判所に対する陳述として建設的だと思った。提訴から5年でやっと結審を迎え、3月には判決が言い渡される。ここまで長かったが、引き続きご支援をお願いします。ありがとうございました」と、これまでのたたかいを振り返りながら、しっかりとした口調であいさつしました。
最後に、闘争団を支える北海道有志の会の森さんから「人事評価に基づかない首切りなどあり得るのか。病気休職していることを理由に首切りしてよいのか。これは、北海道の労働闘争で歴史に残るたたかいになる。結審を迎えたがまだ終わっていない。これからやれることをやりきって判決を迎えたい。引き続きがんばっていきたい」と、判決ぎりぎりまで奮闘する決意を述べ閉会しました。なお、判決は、来年3月14日13時10分に札幌地裁で言い渡されます。
以上