国公労新聞2021年3月10日号 第1560号

【データ・資料:国公労新聞】2021-03-10
2021春闘
コロナ禍だからこそ賃上げ、生活保障を


 3月5日、全労連・国民春闘共闘などは2021年春闘勝利をめざして3・5中央総決起行動にとりくみました。
 新型コロナウイルス感染症の拡大による緊急事態宣言下の東京でのとりくみとなるため、現地への参加者を絞り込みましたが、同時にオンライン(ユーチューブ)参加も呼びかけ全国から500人が参加しました。

許しがたい総務省接待問題
 人事院前要求行動では、全通信の藤井聖主書記長が決意表明(写真上)。「総務省が行う情報通信行政において、菅首相の長男が勤務する企業やNTTの社長らから総務省幹部が接待を受け、行政がゆがめられているのではないかという疑念が生じている。私たち最前線で働く国家公務員は疑念を一切もたれないよう業務を行っており、断じて許しがたい事態だ。いまこそ、国民のための民主的な行政の実現、国民の安心・安全をまもるための公務・公共サービスの拡充、最前線で働く職員の処遇改善をめざし、今春闘で奮闘する」と力強く述べました。

ハローワークはてんてこまい
 つづいて日比谷野外音楽堂で開催された中央総決起集会では、全労連公務部会の仲間がそれぞれの現場の実態を踏まえたアピールを行いました(写真左)。全労連公務部会の大門晋平幹事(国公労連中央執行委員)による司会で、国公労連を代表して全労働の水上智子中央執行委員(写真左)が「私の職場はハローワーク。密にならないようにと言われているが、失業給付や就職の相談に次々と人が訪れる。深刻な相談も多く、対応に追われている。感染防止に努めているが、感染する職員も多い。一方で、失業給付の支給に遅れや間違いが生じないようにするチェックなど仕事が次々と降りかかって出口の見えない状況」と現場の実態を述べ、抜本的な職員増と処遇改善を訴えました。
 その後、国会請願デモを行い、参加者は「コロナ禍だからこそ賃上げを行え」「生活保障に税金を回せ」とアピールしました。(QRコードから当日のツイートをぜひリツイートしてください)みんなで力あわせSNSでアピールを
 国公労連は春闘SNSキャンペーンにとりくんでいます(3月末まで実施)。コロナ禍において諸行動に制約があるなか、SNSを活用し、コロナ禍だからこそ賃上げが必要であることや、国家公務員の増員、行政体制の拡充が必要であることを国民にアピールします(すでに3・5中央行動等のツイートで50万人にアピールできています)。
 組合員のみなさんは「SNS活用のススメ」(左QRコード)を使ってツイッターアカウントを取得し、国公労連のアカウントをフォロー(左QRコード)したり、本紙写真部分に掲載したQRコードから国公労連のツイートをリツイートして一人でも多くの国民にアピールしてください。




個人が徹底的に監視されるデジタル改革法案は危険


 全労連などがつくる「デジタル改革関連法案反対連絡会」は2月25日、3月5日と連続して院内集会を開催しました。
 2月25日の院内集会では国公労連の中岡淳中央執行委員がデジタル改革関連法案の問題点について発言。「新たに設置されようとしているデジタル庁は、事務次官級も含めた民間登用が100人規模で計画されている。情報漏えいの危険とともに、デジタル利権を民間企業へ誘導することはあってはならない」と指摘しました。
 3月5日の院内集会では、主催者あいさつで全労連の小畑雅子議長が「国民の個人情報が企業に利用される危険性などを訴え、急速に反対運動を強めることが必要。徹底審議の上で廃案を強く求めていこう」と呼びかけました。自治体情報政策研究所の黒田充代表は「個人情報漏えいの問題だけでなく、個人が徹底的に監視された上に企業利潤の最大化に利用される恐ろしさを広く国民に知らせる必要がある。約60もの法改定を束ねて通そうとすることもあまりに非民主的だ」と法案の問題点を指摘しました。



核兵器禁止条約の発効後
初の3・1ビキニデー集会ひらく 核廃絶被害者救済


 原水爆禁止日本協議会(日本原水協)などは3月1日、「被災67年ビキニデー集会」をオンラインで開き、ビキニ水爆実験の被害者支援と地域からの核兵器廃絶運動を呼びかけました。
 主催者報告で野口邦和世界大会共同代表は、「核兵器禁止条約の発効は私たちの運動が実を結んだもの。日本政府に条約参加を求める署名を広げ、国民的な世論で包囲しよう」と訴えました。
 国連の中満泉事務次長(軍縮担当上級代表)は「核兵器禁止条約には核実験による犠牲者への支援条項がある。人間を中心とした核軍縮を多国間主義で追求していく。核兵器のない世界は実現可能だ」とメッセージを寄せました。
 高知から初の独自のビキニデー集会を準備していると報告されました。アメリカはビキニ環礁で6回の核実験(1954年3~5月)を行い、その付近で操業していた延べ992隻が被害にあいました。その被害漁船の3分の1、延べ270隻が高知県を母港としていました。高知では長年にわたり被害者支援の運動が続いており、核兵器禁止条約発効を機に、被害の実態を知らせ、運動を強めようと独自集会の開催を決めました。
核実験の被害者が放置されている
 高知の「ビキニ労災訴訟を支援する会」の橋元陽一さんは「政府は54年12月末には汚染検査をやめ、真摯な被害調査を行ってこなかった。70年近く経つ今も被害者は放置されている」と述べ、被害漁船の元乗組員と遺族による裁判への支援を訴えました。