薩摩のヒーロー「西郷どん」と「お供の犬」、左右を囲む「桜島ダイコン娘」、背後に元気な青年組合員たち。全司法鹿児島支部「祝200名突破」の記念集合写真=1993年11月20日、鹿児島県・桜島
この日、全司法鹿児島支部の仲間は国公労新聞94年新年号取材のため集まってくれた。組合員200名突破は支部の悲願だった。1964年、鹿児島地家裁所長に、狂信的な右翼思想裁判官の飯盛重任(いいもりしげとう)氏が着任。彼は全司法を反体制集団と決めつけ、卑劣な組合弾圧をおこなった。250人いた組合員が70年には約40人になった。全司法は不当労働行為とたたかう鹿児島支部を全国的に支援した。こうしたなか、70年に飯盛氏は、鹿児島地家裁の裁判官に青年法律家協会加入の有無、天皇制是非などの思想調査目的の公開質問状を出した。このことが社会的にも問題化し、最高裁は飯盛氏を所長解任した。その後、支部は青年を中心に組織を拡大し、93年5月に200名を突破した。
(国公労調査時報 bT20 2006年4月号)
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