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あの時の一枚/写真で振り返る国公労働運動の歴史
 

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あの時の一枚 〈21〉 ●国公労連結成30周年

■ 国民に背を向ける「公務員制度改革」
 大綱決定に5000人が怒りの総務省前行動(2001年11月30日)

 
     
   
 

「公務員制度改革大綱」の決定反対を求めて総務省を5000人で包囲し、霞が関を騒然とさせた全労連、公務労組連絡会の中央行動(2001年11月30日、東京・霞が関の総務省前)

 この日、全国から結集した約5000人の公務員労働者は総務省を包囲した(国公労働者は3800人)。政府は、1府12省体制発足後の行革の中心課題に「公務員制度改革」を位置づけた。その内容は、労働基本権を制約したまま、成果・能力主義に基づく「信賞必罰」の恣意的な人事管理によって行政の中立性を形骸化させるものだった。同年12月に「公務員制度改革大綱」が閣議決定されたが、全労連、連合は公務員制度改革の進め方と「大綱」の内容は、いずれもILO条約違反であるとして提訴した。ILOはこれに対し、日本の現行の公務員制度が87号条約(団結権)、98号条約(団体交渉権)に違反すると断定した。04年12月、政府は行革推進事務局による改革作業を断念せざるをえなくなった。
(国公労調査時報 bT25 2006年9月号)

 
     
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あの時の一枚 〈22〉 ●国公労連結成30周年

■ 不利益遡及は憲法違反
 「国公権利裁判」原告139人が国を提訴(2003年3月5日)

 
     
   
 

原告団と支援の組合員250人が参加した「国公権利裁判」提訴行動 (2003年3月5日、東京・霞が関の東京地方裁判所前)

 この日、「国公権利裁判」原告団139人のうち85人が全国から参加し、国を被告とする損害賠償を請求して東京地裁に提訴した。前年の給与勧告は、史上初の月例給マイナスと一時金切り下げだった。許し難いことに、実施にあたって、一時金での調整措置という「不利益遡及」の脱法行為が行われた。民間では、いったん発生した賃金を不利益に変更できないとする「不利益不遡及原則」が最高裁判例によって確立している。国公労連は、公務員の権利闘争としてこの裁判を位置づけ、全国の組合員カンパによって裁判闘争を支えた。裁判は、請求棄却の不当判決(東京地裁=04.10.21、東京高裁=05.9.29)だったが、この間のILO勧告(日本の公務員法等は条約違反であり、是正すること)に見られるよう、国際社会の流れに反する反動判決であることは明らかだった。
(国公労調査時報 bT26 2006年10月号)

 
     
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あの時の一枚 〈23〉 ●国公労連結成30周年

■ “霞が関”組織化にチャレンジする国公一般
 (2005年1月19日)

 
     
   
 

国公一般の霞が関宣伝行動 (2005年1月19日、東京・霞が関合同庁舎第4号館前)

 国公一般(国家公務員一般労働組合)は2003年12月14日に結成された。国公労連の加盟単組であり、ひとりでも入れる労働組合だ。国公一般は、当面、非常勤職員を含む大量の未組織職員がいる東京・霞が関の本府省職場を働きかけの対象とした。“霞が関”は、長時間の・過密労働と不払い労働の聖域であり、働くルールを無視した職場実態がある。そこに、だれでも入れる省庁横断型の国公一般の旗をたてる意義は大きい。国公一般は、月2回の霞が関宣伝を定例化し、ブログ「がぶり寄り」を立ち上げた。ブログは、思いのほか悲痛な霞が関・非常勤職員の声がよせられるようになった。その声を聞き、解決に尽力する国公一般に信頼を寄せ、一人、また一人と組合員は着実に増えている。
(国公労調査時報 bT27 2006年11月号)

 
     
 

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