「75春闘への大量処分は、全建労差別を是正するとの『合意メモ』に反する」と抗議行動をする全建労と支援の国公単組の組合員=1975年11月5日、東京・霞が関の旧建設省内
全建労(当時全建設省労働組合)は、かつて2万人を超えた組織だった。しかし、1960年代初頭、当局による大がかりな弾圧、組織破壊・分裂攻撃のもとで年々組合員の減少が相次ぎ、60年代半ばには四千数百人まで減少していた。だが、1971年秋の拡大運動で純増への転機をつくった。
こうしたなか、1974年秋、朝日新聞1面に、建設省が作成した「総評系の労組役員、活動家と革新政党員は昇任、昇格させない」という極秘文書の存在が報道された。これは、全建労つぶしの差別取り扱いを明確に指示するものだった。全建労と国公共闘は、総評規模で組織破壊の差別反対闘争を全国各地でたたかい、極秘文書問題は国会でも取り上げられた。当局は追い詰められ、ついに1975年3月27日、建設省(事務次官ら首脳)と組合側(荒川昌男全建労委員長、樋口緑国公共闘議長、総評副議長ら)で、当局の不当労働行為を認め、差別を是正するとの「合意メモ」を確認した。
この「合意メモ」は、その後の全建労の拡大運動に大きなはずみをつけ、1978年には、当局の手でつくられた第二組合を組織人員で見事に逆転した。
(国公労調査時報 bT57 2009年5月号)
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