国公労連
国民のための行政・司法へ ストップ!憲法改悪 サイトマップ 更新履歴 個人保護法に関する宣言 リンク
Action 私たちのとりくみ Journal 定期刊行物 Archives 資料 Mail News
トップページ > 国公労連の紹介 > あの時の一枚 第84回〜第88回
  国民のための行政・司法へ
あの時の一枚/写真で振り返る国公労働運動の歴史
 

<< あの時の一枚 〈79〉〜〈83〉 | 目次 | あの時の一枚 〈89〉〜 >>

 
     
 

あの時の一枚 〈88〉

■ 高学歴ワーキングプアの解消めざし
ノーベル賞受賞者が若手研究者にエール
(2010年5月16日)

 
     
   
 

科学技術シンポジウムで講演するノーベル物理学賞受賞者の益川敏英氏(京都産業大学教授)
=2010年5月16日、東京・千代田区の明治大学

 「高学歴ワーキングプアの解消をめざして」をテーマとした科学技術政策シンポジウムが2010年5月16日、東京・神田駿河台の明治大学で開かれ250人が参加した。国公労連、学研労協、全大協、日本科学者会議、首都圏大学非常勤講師組合などでつくる実行委員会が主催した。
 シンポジウムでは、博士号をとっても「ポスドク」とよばれる任期付きの不安定な働き方しかできない高学歴ワーキングプアの惨状が明らかにされ、こうした若手研究者の現状は「使い捨ての非人間的な待遇」と告発された。
 記念講演を行ったノーベル物理学賞受賞者の益川敏英氏(京都産業大学教授)は「若手研究者問題は、国に解決を求めることが基本で、社会の決意の問題でもある」と指摘した。
 2008年11月に開かれた科学技術政策シンポジウムでも、ノーベル物理学授賞者の小柴昌俊氏(東大名誉教授)が「若い研究者育成と基礎化学研究の重要性」との演題で講演し、若手研究者にエールを送った。

(国公労調査時報 bT92 2012年4月号)


 
▲ページの先頭へ
     
 

あの時の一枚 〈87〉

■ 社会保険庁職員525人の分限免職を撤回せよ ─ 全厚生組合員が不服申立
(2010年1月18日)

 
     
   
 

人事院に全厚生組合員の不服申立書を提出する飯塚勇・全厚生中央執行委員長(当時)
=2010年1月18日、東京・霞が関の人事院本院

 国の機関である社会保険庁が廃止・民営化され、2010年1月1日に日本年金機構が発足した。厚生労働大臣は前年12月28日、社会保険庁職員525人に国公法第78条4号による分限免職(解雇)を発令した。行政の公正・中立性を保障するため身分が保障されている国家公務員のこうした大量解雇は例がない違法・不当な暴挙だった。過去に処分歴のある社保庁職員は、政府の閣議決定によって日本年金機構への応募自体が拒否された。過去の懲戒処分を理由として分限処分をするのは、同一の非違行為に対する二重の不利益処分であり違法だった。日本年金機構は、社保庁職員からの採用数を制限するとともに、民間から1,000人以上も正規職員を新たに採用した。
 これに対し1月18日、国公労連加盟の全厚生労働組合(全厚生)の組合員31人(のちに計39人に)が、人事行政の第三者機関である人事院に処分撤回を求める不服申立を行った。国公労連は社会保険庁不当解雇撤回闘争本部を結成して、全厚生を先頭に国家公務員に対する違法な分限免職を撤回するための支援の輪を全国にひろげたたかっている。

(国公労調査時報 bT91 2012年3月号)


 
▲ページの先頭へ
     
 

あの時の一枚 〈86〉

■ 反貧困―日本中が注目した「年越し派遣村」
(2008年12月31日〜2009年1月5日)

 
     
   
 

炊き出しをする「年越し派遣村」のボランティア
=2008年12月31日夕方、東京・千代田区の日比谷公園

 2008年大晦日から年始5日まで東京・日比谷公園に開設された「年越し派遣村」は、連日、正月のトップニュースとなり、深刻な雇用破壊や貧困の実態に日本中が驚かされた。2008年秋から、大企業製造業を中心に乱暴な派遣・期間工切りがおこなわれ、職を失うと同時に会社の寮を追い出され、たちまち住むところさえなくなった失業者が全国にあふれた。「貧困が可視化された」といわれた「年越し派遣村」には500人の入村者があり、のべ1,700人のボランティアが参加した。国公労連も全労連の要請にこたえ職場の仲間も含めボランティアに参加した。全労働は「派遣村」の事前準備から取り組み、のべ30人が参加した。毎日新聞1/14付の「記者の目」は、「現場のハローワークや労働基準監督署で働く職員で作る全労働省労働組合は、履歴書用の顔写真の撮影ができる機材まで用意して、連日ボランティアで就労相談にあたっていた」と報道した。
 「年越し派遣村」を契機に、この年の7月までの間に45都道府県240カ所以上で労働・生活相談活動が実施され、のべ1万680人が相談者に寄り添い、生活保護申請や労働局への申告を行った。大企業の横暴告発と政府の責任を追及する世論が高揚し、7月までに新たに労働組合に加入して立ち上がった非正規労働者は210組合1,303人にのぼった。

(国公労調査時報 bT90 2012年2月号)


 
▲ページの先頭へ
     
 

あの時の一枚 〈85〉

■ 国立病院・療養所の賃金職員の雇用を継承せよ
(2003年11月13日)

 
     
   
 

年金改悪反対、イラク派兵反対などとともに「国立病院の雇用を守れ」を中心スローガンにかかげた全労連03秋闘11・13中央決起集会には、賃金職員を中心に200人の全医労組合員が参加した=2003年11月13日、東京・日比谷野外音楽堂

 2004年4月1日から独立行政法人に移行する154施設の国立医療機関の賃金職員(定員外のフルタイム職員)の雇用継承は大きな問題になっていた。全労連は「国立病院の雇い止め阻止」全労連闘争本部を設置して、全職員の雇用継承をもとめたたかった。しかし、厚生労働省は、行動直前の11月10日、全日本国立医療労働組合(全医労)とも協議せず、不当な雇止め方策を一方的に発表した。それは、賃金職員をいったん雇い止めした上で、夜勤可能な看護師は定数内で「優先採用」するが、その他の賃金職員は委託化もしくは週30時間以内の「短時間非常勤」(パート)にして、年収を半減させるというものだった。
 賃金職員雇い止め阻止のたたかいは、約6,000人の賃金職員のうち看護師など約半数の正規採用を実現した。しかし、それ以外の賃金職員はそれまでの低い賃金がさらに大幅にダウンするパートか委託業者への就職斡旋かという不当な方針が押しつけられることとなった。全医労は、「雇用と医療を守れ」の世論をひろげつつ、職場で組織拡大に全力をあげ、独法化前に「労働者過半数代表」を選ぶ取り組みで、推薦する代表が各地で圧勝し、141施設で全医労が36協定権を確保するという大きな成果をおさめた。

(国公労調査時報 bT89 2012年1月号)


 
▲ページの先頭へ
     
 

あの時の一枚 〈84〉

■ 「憲法9条が未来をひらく」―国公労連が読売に意見広告を掲載
(2006年11月26日)

 
     
   
 

「九条の会」5氏のよびかけ人のコメントとともに掲載された国公労連の憲法意見広告=読売新聞2006年11月26日付

 2006年11月26日付読売新聞に、いわさきちひろの愛らしい絵とともに「憲法9条が未来をひらく」と主張した国公労連の意見広告が掲載され、話題となった。読売は世界最大の発行部数1,000万部を誇っていた。意見広告には著名人5人の「9条守れ」のコメントも掲載されていた。「九条の会」よびかけ人の井上ひさしさん、奥平康弘さん、小田実さん、澤地久枝さん、鶴見俊輔さんである。
 2003年6月に有事立法が成立し、日本を「戦争する国」にする改憲の動きがすすんだ。これに反対して2004年6月、「九条の会」が発足し、草の根の運動がひろがった。しかし2005年11月、与党自民党は結党50周年の党大会で9条改憲にねらいを定めた新憲法草案を決定し、民主、公明などとともに改憲手続き法案制定の動きを具体化していた。
 こうした憲法をめぐる情勢のもとで、国公労連は、06秋闘において「戦争する国」を許さないために1,000万世帯に影響を与える「新聞意見広告」職場カンパ運動をすすめたのだった。

(国公労調査時報 bT88 2011年12月号)


 
▲ページの先頭へ
     
 

<< あの時の一枚 〈79〉〜〈83〉 | 目次 | あの時の一枚 〈89〉〜〈93〉 >>

 
  ページの先頭へ